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連載・特集

廣島 広島 ひろしま 第1部 軍都への歩み 宇品築港 <4>

近代工業都市に変貌

 宇品の地名は宇品島(今の向宇品)にちなむ。島の形が牛が伏せた形に似ており、「牛の島」と呼ばれていたからともいわれる。

さながら首都に

 明治二十二(一八八九)年に完成した宇品港は、日清戦争(一八九四―一八九五年)が始まると、清国への兵站(へいたん)基地として位置づけられた。広島は宇品港を拠点に軍都として大きな発展をとげる。大本営が置かれ、臨時帝国議会が開かれるなど、さながら首都としての様相を見せた。

 築港に伴う宇品新開の開発は、士族授産事業の面もあった。耕作地は旧広島藩士族の団体の授産所に引き渡されたが、その経営はうまくいかなかった。一方、宇品町の海岸通りには広大な用地を占める軍の施設が建ち並んだ。陸軍中央糧秣廠(りょうまつしょう)宇品支廠、陸軍運輸通信部宇品支部ついで台湾陸軍補給廠運輸部宇品支部(後に陸軍運輸部本部に昇格)…。宇品港は、ますます軍用港としての色彩を強めていく。

開戦で人口3倍

 戦時需要で、宇品町には軍事輸送に従事する人が増えた。戦地に向かう兵士を見送る家族も多く集まり、旅館や飲食店も増えた。日露戦争の開戦後一年では人口が実に三倍近くに膨らんだ。広島の産業も第一次世界大戦を契機に、重化学工業中心の大工場が次々に立地し、近代工業都市へと変貌(へんぼう)していく。戦争のたびに活気づく広島の姿があった。

 宇品港は昭和七(一九三二)年に広島港と改称され、第二次大戦後は国際貿易港として歩んできた。来年、築港百二十年を迎える。(広島市郷土資料館学芸員・小林奈緒美)

(2008年5月11日朝刊掲載)

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