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連載・特集

廣島 広島 ひろしま 第1部 軍都への歩み 広島大本営

「原爆」につながる転機

 日清戦争が開戦した明治二十七(一八九四)年七月以降、兵站(へいたん)基地として活気づく広島にさらなる転機が訪れた。九月八日、開戦に先立ち東京に設置された大本営が広島に進出するとの発表。大本営とは戦争中にのみ置かれる天皇直属の最高統帥機関で、日清戦争で初めて置かれた。東京以外に設けられたのはこの時だけである。

内閣中枢が滞在

 広島大本営は広島城の二の丸と本丸を占め、表御門には「大本営」と墨書した木製の門標が掲げられた。本館は本丸の第五師団司令部が転用された。二階の会議室が御座所とされ、明治天皇はここで極めて質素な生活を送ったとされる。

 天皇は九月十五日、広島城内に到着した。伊藤博文首相はじめ内閣の中枢も長期にわたり広島に滞在。広島は前線基地であると同時に、臨時首都になった。戦争は日本の優勢に推移し、翌年四月十七日に下関で講和条約が結ばれ、日本の勝利で終結した。それに伴い大本営も東京へと移った。

城内に残る礎石

 大本営の進出が地域に残した影響は大きかった。その後、広島は大陸への兵站基地となり、軍都としての性格を強めていく。広島への原爆投下の理由の一つが、軍事施設の集中であったことを考えると、大本営の広島進出は広島の歴史上、重要な出来事であったと言えるだろう。

 大本営の建物は、日清戦争後に史跡として永久保存されたが、原爆によって倒壊した。今は史跡広島城内に礎石のみが残され、広島の歴史を静かに人々に語りかけている。(広島城学芸員・本田美和子)

(2008年5月18日朝刊掲載)

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