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連載・特集

廣島 広島 ひろしま 第1部 軍都への歩み 帝国議会

東京以外で唯一の召集

 広島市中区基町の県庁東館と市水道局の間にあるコンビニエンスストアの前に、「臨時帝国議会仮議事堂跡」という記念碑がひっそりと立っている。戦前戦後を通じ東京以外で開かれた唯一の国会(戦前は帝国議会)の議事堂跡である。

仮議事堂で可決

 この場所で第七回帝国議会が召集されたのは日清戦争中の明治二十七(一八九四)年十月十五日。総理大臣の伊藤博文はここで国家予算二年分に相当する臨時軍事費の予算案を通さなくてはならなかったが、議会では薩長門閥政府に激しく抵抗する民権派が優勢だった。そこで、東京を離れ、大本営が置かれ出兵基地となっている広島での議会開催を決断した。議員たちに戦時であることを肌で感じてもらうためだった。

 帝国議会は、西練兵場の東南隅に十七日間の突貫工事で完成させた仮議事堂で開催された。伊藤の計略はずばり当たった。急ごしらえの粗末な仮議事堂で開かれた議会で、政府提出の予算案は全会一致、わずか五分で可決された。それまでの政府と議会の対立がうそのようだった。結局、四日間ですべての審議を終え、臨時帝国議会は閉会した。

比治山に御便殿

 議会終了後、仮議事堂は日清戦争の祝勝会会場や陸軍予備病院の分院、第五師団司令部などに使われた。最後は広島陸軍地方幼年学校の仮校舎となり、明治三十一(一八九八)年十二月に解体された。議事堂の遺構として、明治天皇の控え室だった御便殿(ごべんでん)が比治山に移築されて保存されていたが、原爆で倒壊。残されていた礎石もその後取り払われてしまった。(広島城学芸員・村上宣昭)

(2008年5月25日朝刊掲載)

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