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連載・特集

廣島 広島 ひろしま 第1部 軍都への歩み 外国人ボランティア

予備病院で傷病兵看護

 白衣の外国人女性の集合写真がある。アメリカ赤十字社の篤志看護婦で、明治三十七(一九〇四)年の撮影。場所は現在の広島市中区、基町高層アパート付近。当時、広島陸軍予備病院があり、その中庭のあずまやで撮られたらしい。

 当時、日本は日露戦争に突入していた。広島陸軍予備病院は、戦地から帰還した傷病兵を受け入れていた。赤十字社は戦争や大規模災害の際、敵味方の区別なく人道的支援を行うことを理念に掲げる。この時も戦争勃発(ぼっぱつ)に伴い、彼女たちは予備病院でボランティア活動を行っていたのだ。

 写真中央の女性は、ドクターの資格を持つマッギー夫人。八人の看護婦たちと約五カ月間広島に滞在し、特に重傷の兵の看護にあたった。彼女たちのほか、同じ予備病院でイギリスの看護婦も傷病兵の介護に当たっていた。

 この時代に海外ボランティアに従事した勇気に感嘆する。彼女たちの姿は当時の広島の女性にも少なからず刺激を与えたようだ。さまざまな婦人団体の活動が戦争を支援する形で行われたのである。

 愛国婦人会の広島支部や、日本赤十字社篤志看護婦会広島支部会などは活発に戦傷病兵の介護・慰問を行った。竹屋村の木内愛子、田中町の荒川ミヤなどが創設した婦人一心会は、会員が倹約してためた金銭を軍事費として献納し、軍人家族の授産や幼児の保護などの活動を行っている。

 現在マッギー夫人らのことを知る人はほとんどいない。広島のボランティア活動の歴史を考える上で、見直すべき人々であろう。(広島城学芸員・本田美和子)

(2008年6月10日朝刊掲載)

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