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連載・特集

『表層深層』 進む原発回帰 風化懸念 東日本大震災12年 「事故二度と」思い強く

 東日本大震災から12年。津波からの復興は進んだが、東京電力福島第1原発事故で、今も古里に帰還できない人がいる。一方、ロシアのウクライナ侵攻や電気料金高騰を背景に、岸田文雄政権は原発推進へと政策を大きく転換。第1原発の処理水放出や東北電力女川原発の再稼働も近づく。未曽有の原子力災害に対する記憶の風化も懸念され、被災地は「事故を二度と繰り返さないで」との思いが強い。

 宮城県石巻市の漁師、渡辺隆太さん(38)は11日昼、浜でホヤの成育具合を確認した。養殖用のホタテをロープで海につり下げる夜通しの作業を朝、終えたばかりだ。

 12年前、津波で漁具や機材を流され「ゼロからのスタート」を強いられた。ホタテ養殖は持ち直したが、ホヤは苦境が続く。最大の消費地だった韓国が事故後、輸入を禁止したためだ。東電は今年春から夏ごろにかけ、第1原発の処理水を海に放出する計画。「風評被害で単価が急激に下がるのでは」と不安が募る。

 作業場の近くには、2024年2月、震災後、被災地で初の原発再稼働を予定する女川2号機がある。道路が整備されるなど、原発は恩恵も大きく「事故さえなければありがたい」。処理水放出も再稼働も、個人では何もできず、仕方がないと受け止めている。

政策転換触れず

 「福島の復興・再生に向けた動きが本格的に始まっている」。岸田首相は11日、福島県主催の追悼式に臨んだ。帰還困難区域の一部の避難指示解除を踏まえ、昨年あいさつの「動きが進んでいる」に比べ、順調な印象をにじませた。政策転換への言及はなかった。

 事故後、原子力政策は揺れた。12年に誕生した第2次安倍政権は原発を「重要なベースロード電源」とする一方、民意の反発を懸念し「可能な限り依存度低減」とも強調。憲政史上最長の在任期間を誇った安倍氏でも、推進には踏み込まなかった。

 転機は22年2月、ロシアのウクライナ侵攻。資源の海外依存リスクが意識され、電気料金が高騰すると世論の風向きが変わる。岸田政権は、女川2号機や東電柏崎刈羽6、7号機(新潟県)を含む7基の23年夏以降の再稼働、次世代型原発への建て替え、最長60年としてきた運転期間延長などを打ち出した。

 政策転換を担った経済産業省は「原発がいい、再生可能エネルギーがいいなどと好き嫌いを言える状況ではない」(同省幹部)と強調する。

積まれた土のう

 福島県いわき市に避難する沢上晶さん(41)はこの日、双葉町の帰還困難区域にある自宅を訪れた。敷地には、黒い大型土のう「フレコンバッグ」が積み重なる。幼い頃、自宅の長い廊下でかけっこをし、裏山ではタケノコやキノコを採った。

 「避難してここが一番だと分かった」。いつ戻れるか分からないが、敷地のウメは今年も変わらず白やピンクの花を咲かせた。「うれしいね」。表情が和らいだ。

 原発は都市部から遠く離れたところに立地し、消費地に電力を供給してきた。双葉も多くの人が原発関連の仕事に就き、被災した。沢上さんも近隣の火力発電所に勤める。福島の原発は全て廃炉となったが、県内の火力が首都圏の電力を支える構図は変わらない。

 国の原発回帰について、電力不足や料金高騰を考えれば、やむを得ないと思う。ただ「二度と同じ事故を繰り返さないでほしい」。事故対策など環境をしっかり整えてほしいと願う。

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記者のつぶやき

被災地 戻らぬ日常今も

 2011年3月11日は福岡県内に住んでいた。東日本大震災を実感したのは、大学入学で上京した4月1日。駅のエスカレーターは止まり、電車は明かりを消して走っていた。それは、震災直前に受験で訪れた時と全く違う姿だった。あれから12年。東京は、震災前の日常を取り戻しているように見える。

 だが、東京電力福島第1原発事故もあった福島県の被災地はどうか。岸田文雄首相の同行取材で訪れた福島市での式典で、目に涙をにじませて言葉を絞り出す会津高(会津若松市)の生徒が印象的だった。原発事故で全町避難を強いられた富岡町の現状を「田畑は荒れ、誰も住んでいない家がある」「以前の活気を思うとやるせない」と伝えた。

 岸田首相は「東北の復興に全力を尽くす」と誓った。被災地の若者の思いも重ねると、非常に重たい言葉に感じる。(口元惇矢)

(2023年3月12日朝刊掲載)

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