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連載・特集

近代発 見果てぬ民主Ⅵ <9> 小日本主義 商工業優先と小軍備 提唱

 大正政変のさなかに発表された東洋経済新報社主幹の三浦銕太郎(てつたろう)による満州(現中国東北部)放棄論は反響を呼ぶ。

 大正2(1913)年2月25日の同新報誌に東京商業会議所会頭の中野武営(ぶえい)の主張「偏武的政治と我財政」が載る。国民生活を圧迫する軍拡一辺倒の政治を批判して「満州を勢力範囲に置くのは百害あって一利無し」と明言。「国防計画の権利を軍人の手中から国民に」と訴えた。

 中野は陸軍の2個師団増設反対の先頭にも立った。経済発展を妨げるとして軍拡に反対する実業界を代弁し、衆院議員にもなっていた。

 大陸発展無用論の広がりは陸軍幹部をいたく刺激した。増師見送りの責任を取って軍務局長を辞めた田中義一は、所感を記し憤りを表した。

 日清・日露を戦ったのは「大陸発展が民族生存の第一義だから」と田中は断言する。「しかるに何事ぞ、戦後未(いま)だ十年ならざるに邦人の多くは当時の意気を失い退廃、消極となり」といらだち、「甚だしきは奇怪なる満州放棄を意味する言論をあえてしてはばからないとは」と。

 一方の三浦は同年4月から「大日本主義か小日本主義か」を同誌に連載する。軍事優先と領土膨張、専制主義が特徴の大日本主義の下での軍事費の突出ぶりをデータで示した。

 日清戦争から日露戦争前までの10年間の国家支出総額23・3億円のうち軍事費(国債費の一部合算)は49%の11・6億円。日露戦争以後の10年間は同総額67・2億円のうち軍事費が62%の42億円に急増していた。

 日清・日露戦争後に得た植民地(台湾、南樺太、朝鮮)と租借地(関東州)の経営状況も分析した。新領土経営の経費累計は4・1億円に上ると算出。それに引き換え内地の人口問題解決や貿易面の効果は低く、国民の犠牲と損失は大とした。

 大日本主義が招く「軍閥の跋扈(ばっこ)と軍人政治の出現」にも三浦は警鐘を鳴らす。そして領土を拡張せずに商工業優先と小軍備で自由主義という小日本主義への転換を唱えた。

 大日本主義が破綻した太平洋戦争敗戦の後、専守防衛下での経済大国化は小日本主義の正しさを実証した。国の針路を巡る議論の芽は惜しいことに、第1次世界大戦の勃発で摘み取られてしまう。(山城滋)

三浦銕太郎
 1874~1972年。静岡県出身で東京専門学校(現早大)から東洋経済新報社へ。明治42年から社会主義者片山潜と一時期机を並べた。大正元~13年に主幹。反軍国主義の論調は後継主幹の石橋湛山に受け継がれた。

(2023年3月11日朝刊掲載)

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