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[ヒロシマの声 NO NUKES NO WAR] 放射線被害 区域外でも 「黒い雨」被爆者 高東征二さん(81)=広島市佐伯区

  ≪4歳の時、爆心地から約9キロ離れた広島県観音村(現広島市佐伯区)の自宅で原爆の閃光(せんこう)を目にし、放射性物質を含む「黒い雨」に遭った。国が定める援護対象区域(大雨地域)の拡大を求める運動に取り組む中、2021年7月、集団訴訟で勝訴し、他の原告83人と共に被爆者と認定された。国は22年4月、黒い雨被害者を被爆者に認定する新基準の運用を始めた。≫

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 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻は絶対に許せない。ウクライナの皆さんは電気もガスも十分に供給されない中で、どう生活しているのだろうか。戦後、焼け野原の広島でひどい食糧難に見舞われたのを思い出す。幼い私は遊べもせず、家の手伝いばかりしていた。戦争をしていると子どもはすくすくと育たない。未来のない戦争は早く終わらせるべきだ。

 プーチン大統領は核兵器を脅しの道具にしようとしている。核兵器が使われたらどうなるか。広島の被害は爆心地周辺だけではない。78年前、放射性物質を含んだ「黒い雨」は爆心地から30キロ近く離れた地域にも降った。

 全身をがんに侵されて多臓器不全で亡くなった女性、「原爆ぶらぶら病」と呼ばれる被爆者特有の体のだるさに長年悩まされた男性…。十分な救済がなく生きてきた、何人もの黒い雨被害者の話を聞いた。私も子どもの頃に何度かリンパ節が腫れて手術した。19年には脳梗塞にもなり、健康への不安は尽きない。

 国が定めた援護対象区域(大雨地域)の外にいた私たちが被爆者として認定されるまで、70年以上かかった。新基準は導入されたが、雨を浴びたかもしれないのに被爆者健康手帳を申請しない人がいる。「孫のことを考えたら被爆者として見られたくない」という本音もあるのだと思う。

 核兵器は使われた時だけではなく、何十年もの間、広いエリアで多くの人を苦しみや葛藤の中に陥れる。それだけ被害は根が深い。 (聞き手は堅次亮平)

(2023年3月15日朝刊掲載)

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