×

連載・特集

廣島 広島 ひろしま 第2部 もう一つの姿 <8> 大正の修学旅行

大本営跡や泉邸を見学

 現在、毎年三十万人前後の修学旅行生が広島を訪れている。修学旅行が始まったのは意外と古く、明治時代にさかのぼる。特に盛んになったのは大正時代。そのころも広島市近辺の町や村の小学校を中心に、多くの修学旅行生が広島を訪れていた。

 大正時代に広島に来る修学旅行生がまず向かうのは、広島城内にあった日清戦争時の広島大本営跡である。明治天皇が執務した二階の部屋は調度品もそのままに保存され、階下には日清戦争当時の武器や戦利品などが展示されていた。

 天守閣は大正時代には非公開だったが、昭和三(一九二八)年に大本営跡とともに軍から県に移管されてから一般公開されるようになった。もちろん毛利氏の築城以来の木造の天守で、昭和六(一九三一)年には国宝に指定されている。

 次に比治山の上にあった御便殿(ごべんでん)。これも日清戦争時に広島で開かれた帝国議会における明治天皇の控室を移築したもので、中には天皇の写真や所用の品などが飾られていた。

 文化関連施設では泉邸(せんてい)と観古館(かんこかん)が挙げられる。泉邸は今の縮景園で、もともとは旧広島藩主浅野家の私邸だった。観古館は泉邸の一角に浅野家が所蔵する数々の宝物を展示するために設けられた施設で、日本最初の私立美術館ともいわれる。ともに大正二(一九一三)年から無料で公開された。旧大名家の宝物の公開は、当時としては画期的な試みだった。

 そのほか、大正四(一九一五)年にドイツ製の最新式設備を導入して開業し、東洋一といわれた広島市営の食肉処理場や、広島駅近辺にあった大きな紡績工場など、近代的な工場を訪れる学校もあった。これらは、広島市郊外の農山漁村部の子どもたちを大いに驚かせたのである。(広島城学芸員・村上宣昭)

(2008年8月19日朝刊掲載)

年別アーカイブ