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放射能の恐怖 講座で訴え 第五福竜丸被曝 来月60年 広島平和研

 3月1日、米国の水爆実験で、太平洋マーシャル諸島の住民や静岡県焼津市のマグロ漁船第五福竜丸が被曝(ひばく)した「ビキニ被災」から60年を迎える。広島市中区の市まちづくり市民交流プラザで14日夜、健康被害や被曝地の復興を考える広島市立大広島平和研究所の連続講座が始まった。(加納亜弥)

 初回の講師は、世界の核実験場をめぐり、1985年にロンゲラップ島でも取材した神奈川県在住のフォトジャーナリスト豊崎博光さん(66)。同島では、核実験後に全住民が米軍の指示で一時避難したが、3年後の57年に帰島。その後、がんなどの発症が相次いだと報告した。

 「住民の健康状態を調べた米国が、体内被曝の問題に初めて注目した」と指摘し、「原発の拡大と、放射線による健康被害の問題が交錯した時代だった」と語った。

 全住民は85年5月、再び島から逃れた。豊崎さんは「放射能汚染は伝統文化も地域のコミュニティーも壊す。原発事故も同じだ」と強調した。

 公募で集まった100人が参加した。高校教諭の日上雅義さん(48)=安佐南区=は「人々が実験に使われた印象が拭えない。放射性物質の怖さを実感した」と話した。講座は3月14日まで全5回。原水爆禁止運動の歴史や、福島第1原発事故について考える。

マーシャル諸島での核実験
 米国が1946~58年、中部太平洋マーシャル諸島のビキニ、エニウェトク両環礁で67回(うち1回は上空で)実施した原水爆実験。54年3月1日のビキニ環礁での水爆実験「ブラボー」は、爆発力が広島原爆の約千倍に達した。ロンゲラップ環礁の住民らは事前の避難勧告なしに被曝(ひばく)。洋上のマグロ漁船第五福竜丸の乗組員も被曝した。日本では原水爆禁止運動の原点となった。

(2014年2月16日朝刊掲載)

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