×

ニュース

被爆地の地道な声の力強調 大江健三郎さん92年寄稿 冷戦後の核時代論考

 今月3日に88歳で亡くなったノーベル文学賞作家の大江健三郎さんの直筆原稿が、中国新聞社に残されていた。「ヒロシマからの新しい光」は、東西冷戦終結後の広島の役割を問いかける1992年元日付朝刊の特集面に掲載された。「核の被害から人間がどのように再生したかを示す光のシンボルともなりうる」と、広島への期待を語ったその寄稿を再掲する。(編集委員・道面雅量)

 400字詰め原稿用紙4枚にわたる直筆原稿が、中国新聞社に残されている。少し角張った、独特の味わいの字。それぞれの升目いっぱいに万年筆でしたためられている。寄稿を依頼した当時の報道部記者、江種則貴元編集局長は「ご自宅に電話をかけて依頼し、二つ返事で引き受けていただいた」と振り返る。

 89年の米ソ両首脳による冷戦終結宣言、91年のソ連解体。特集は、そうした世界情勢の激動を受け「核兵器廃絶に向けてヒロシマはどう行動すべきか」を問う内容だった。大江さんは「むしろ東西両体制の超大核兵器が押さえ込んでいた矛盾がムキ出しになることは起こりうる」と今後への楽観を強く戒め、「その苦しい展望のなかで、核時代を生き延びる正気の人たちの根拠地として、広島の意味は深まりこそすれ、軽くなることはない」と説く。

 その論拠の展開に当たり、「超大国の力の論理」と「人間的な悲惨を訴える声」を対比する。初期のルポルタージュ作品「ヒロシマ・ノート」(65年、岩波新書)にも登場する金井利博・元中国新聞論説主幹の言葉に触発されたことを明かしつつ、「力の論理が逆転すれば、いつでも核兵器の脅威の再来はもたらされる」「広島、長崎の人間的な悲惨を訴える声が地道に少しずつ積みあげたものは、決して後戻りしない」と、後者の本質的な力を強調する。

 5月に広島市である先進7カ国首脳会議(G7サミット)には米国をはじめ、英国、フランスという核保有国の首脳も集う。米国と中国、あるいはロシアと欧米の対立が「新冷戦」とも指摘され、ウクライナでの戦禍が続く中でのサミット。大江さんが危惧した「超大国の力の論理」だけが交わされ、強化される場に終わってはならない。

ヒロシマからの新しい光 大江健三郎

 冷戦は終わった、核戦争による世界の終末を告げる時計の針はうしろに戻った、という声はもとより喜ばしいものです。そういう時にも、現在、世界に保有されている核爆弾の一パーセントの爆発で「核の冬」は起こるのだ、というカール・セーガン博士の警告は鋭い響きをつたえると思います。

 こういう正気の人がいる、ということが大切なのです。冷戦が終わっても、世界の根本的な危機をなしている諸条件が解決した、というのではないのですから。むしろ東西両体制の超大核兵器が大きいフタのようにして押さえ込んでいた矛盾が、あらためてムキ出しになることは起こりうるはずです。その苦しい展望のなかで、核時代を生き延びる正気の人たちの根拠地として、広島の意味は深まりこそすれ、軽くなることはないと信じます。

 冷戦の終結が、戦略核兵器の大幅な削減をもたらした状況について、こうした論評がしばしば眼についたものです。

 核兵器の大きい量の廃棄をもたらしたのは、超大国間の力の論理だった。核兵器のもたらす悲惨を訴えつづけた平和運動のなしとげえなかったことを、力の論理がやすやすと達成したのだ。

 私はこうした論評にふれるたびに、癌(がん)で亡くなられるまでつねに広島からの訴えを発せられた、中国新聞の金井利博さん(故人、論説主幹)の言葉を思い出したのです。それは、核兵器の威力を示すものとして広島は記憶されているが、人間の悲惨をあらわすものとしてこそ記憶されなければならない、というものでした。

 被爆者たちの語り部としての活動は全世界に及んで、たとえばアメリカで、ヨーロッパで、広島、長崎の原爆のもたらした悲惨は、金井さんの暗い観測よりずっと広くあきらかに知られてきたと思います。それでも、核兵器の威力の競争を押し進めるのも、ストップさせるのも超大国の力の論理で、それよりほかのものではなかったという、一種ニヒリスチックな論評が行われているわけです。

 しばらく前にも、核兵器の巨大化が、東西両陣営をまじめな核軍縮の交渉の場に引き出した、核の悲惨を訴える民衆の運動がそれをもたらしたのではなかった、という批評がおこなわれたものです。

 右のタイプの考え方の危険なところはこうです。力の論理が逆転すれば、いつでも核兵器の脅威の再来はもたらされる、ということ。それに対して、広島、長崎の人間的な悲惨を訴える声が地道に少しずつ積みあげたものは、決して後戻りすることのない前進なのです。

 「核の冬」の理論は、市民の呼びかけがはじめて東西の超大国の指導者たちを動かしたもの、として評価されました。私もそれはそのとおりだろうと思います。しかし「核の冬」への想像力にリアリティーをあたえたのは、それまで根気強く積みかさねられた、広島、長崎からの体験報告ではなかったでしょうか?

 さらに「核の冬」をもたらさぬ規模の核兵器ならば、それも事実上アメリカが世界の覇権をにぎっている今―つまりロシア側の核兵器による反撃が考えられない今―、使用されてもいいのではないか、というような声すら湾岸戦争の際にすでに聞こえることがあったことを思います。アメリカが核兵器を独占的に使いうる時の、比較的小型のその使用とは、広島、長崎で起こったことでした。

 これまで広島は第二次世界大戦で始まった核兵器体制の黒い巨大な影のシンボルでした。いま核軍縮の方向性があきらかとなって―逆行がありうるのであれ―、広島は核の被害から人間がどのように再生したかを示す光のシンボルともなりうるはずです。チェルノブイリの被災者の広島における治療は、すでに具体的にそれをあらわしていると思います。

(2023年3月16日朝刊掲載)

年別アーカイブ