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終戦から77年7ヵ月ぶり シベリア抑留者 遺骨戻る 倉西豊さん 遺族「よう帰ったね」

 第2次世界大戦後のシベリア抑留中に20歳で亡くなった広島市出身の倉西豊さんの遺骨が15日、同市安佐南区の生家に暮らす遺族の元へ戻った。厚生労働省が収集した遺骨からDNA鑑定で身元を特定。終戦から77年7カ月ぶりの「帰郷」になった。(平田智士)

 おいの正洋さん(73)が県社会援護課の西尾雅敏課長から遺骨を受け取った。正洋さんは「よう帰ってきんさったね」と語りかけ、豊さんの両親の遺影と遺骨を向き合わせた。

 正洋さんや県によると、豊さんは陸軍歩兵第231連隊に所属し、階級は兵長だった。旧ソ連チタ州(現ザバイカル地方)の収容所で1945年12月2日、栄養失調のため亡くなったとされる。

 遺骨は、政府の遺骨収集派遣団が2005年、現地の埋葬地「カダラ村墓地」から持ち帰った中に含まれていた。正洋さんが08年に鑑定用の検体を提供し、今年1月に厚労省から一致したとの通知が届いた。

 豊さんの遺影は戦後、生家の仏壇の近くに掲げられていた。正洋さんは、豊さんの母スエさんが生前、遺影に向かって何度も名前を呼び「かわいそうなことをした」と悲しんでいた様子を覚えている。

 遺骨はスエさんたちが眠る墓に納めるという。正洋さんは「厳しい寒さの中での強制労働はつらかったろう。やっと帰ってきたかとみんな喜んでいると思う」と話していた。

(2023年3月16日朝刊掲載)

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