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連載・特集

廣島 広島 ひろしま 第3部 戦時下の街で <2> ヌートリア

毛皮用に輸入され繁殖

 南米原産の巨大ネズミであるヌートリアが、広島市内で目撃されている。私も、ある川で泳いだり草を食べたりしている姿を発見した。猫ほどのサイズ、蛇のようなしっぽ。作物を荒らす困り者にしては意外とかわいい面も。子供のヌートリアもいた。彼らはなぜ広島にいるのか。

 第二次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)した一九三九(昭和十四)年、軍の毛皮用として百五十匹のヌートリアが輸入され、以後全国で盛んに養殖された。肉は食用ともなった。五年後には四万匹に。今日の野生化したものは、その子孫たちである。

 軍都広島には、今も建物の一部が残る陸軍被服支廠(ししょう)、同糧秣(りょうまつ)支廠があった。糧秣支廠で加工された肉は牛肉だけとされるが、被服支廠では防寒服も扱っている。ヌートリアの毛皮が利用されていた可能性はある。

 戦時中、広島県内にもかなりの養殖場があったという。一九五○(昭和二十五)年の農林省統計では、毛皮獣としてキツネ、タヌキ、ミンクとともにヌートリアも見える。全国で五百五十一匹と一位だが、広島県はゼロ。しかしその直後、広島市の近くに「広島ヌートリア畜産農協」が設立されている。

 同じころ岡山から取り寄せたつがいが、当時の平均的月給を大きく上回る一万六千五百円もし、かじって逃げないように飼育舎をコンクリートにしたという記事もある。ヌートリアに被爆からの再起をかけたのかもしれない。だが、毛皮の価値の低下などから産業化は続かず、ブームはすぐに去った。

 今日、市内にヌートリアが生息するのは、温暖な気候のおかげでもある。だが、いつ駆除されるかもしれない。地球の反対側から連れて来られた、いわば時代の落とし物。人間の身勝手さを物語る「草むらのメッセンジャー」ともいえる。(広島市文化財団文化財課学芸員 松田雅之)

(2008年9月30日朝刊掲載)

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