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連載・特集

廣島 広島 ひろしま 第3部 戦時下の街で <3> 酒杯

軍の式典や営業で配布

 広島城本丸とその周辺は明治以後、陸軍のさまざまな施設が建設された。広島城の発掘調査をしていると、軍がいた時代の地層からいろんな酒杯(おちょこ、ぐい飲み)が出土することがある。これらの酒杯には二種類ある。

 一つはいわゆる「軍杯」である。日本では古くから武勲の恩賞や儀式などに伴い、杯を配る風習があった。明治以降の近代軍制の下でも、こうした杯を配る風習は盛んに行われた。杯には、軍が配ったと思われる「軍艦愛宕 昭和五年六月拾六日 進水記念」と書かれたものや、個人が作り配ったとみられる「凱旋(がいせん)記念 上川」などと書かれたものがある。この風習は庶民にまで広く浸透していたようである。

 もう一つは、いわゆる徳利(とっくり)についているような「ぐい飲み」である。杯の外側や内側には広島の酒名が書かれており、出てくる数も多い。なぜ、こんな多くの杯が出てきたのだろう。酒造会社によると、ぐい飲みは主に終戦前に作られたもので、軍の食堂や酒保(軍の売店のような所)に酒を納入したとき、販売促進のノベルティグッズ(無料配布の記念品)として配ったものらしい。

 そもそも戦時中、とりわけ終戦前は、人々の間でお酒はぜいたく品として控えられていた。しかし、戦地へ赴く軍人のため、軍の施設には酒を含め当時のぜいたく品が豊富に蓄えられていた。そのころ盛んだった軍杯の効果もあったのか、酒造会社も大口納入先となる軍に購入してもらうため、こうしたぐい飲みをたくさん配ったのであろう。

 軍人たちが戦況に一喜一憂しながら、どのような思いでお酒を飲んだかを考えると複雑な気持ちになる。しかし、ぐい飲みだけを眺めると今はない酒名もあり、なかなか粋な雰囲気を醸し出している。(広島市文化財団文化財課学芸員 桾木(くのぎ)敬太)

(2008年10月7日朝刊掲載)

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