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連載・特集

廣島 広島 ひろしま 第3部 戦時下の街で <4> 戦争遺跡

古墳を壊し高射砲陣地

 数年前、広島市北部の可部市街地に面した丘陵、寺山一帯が公園として整備された。その際、敷地内にあった古墳の発掘調査が行われ、私も従事した。古墳は大きく破壊されていることが分かったが、その原因は「後世の地形改変」とだけ報告するにとどめた。

 下の写真をご覧いただきたい。地面に残る明らかに人工的な穴。これが古墳破壊の原因である。古代から古墳が存在してきたこの山頂に、いつのころか巨大な穴が造られ、古墳は削られてしまったのである。底面はほぼ水平で直径約四メートルの円形、深さ約二メートル。この穴を皆さんは何だと思われるだろうか。

 実は発掘調査中、見学に来られた地元の方からこんな話を聞いていた。「ここには戦時中“コウシャホウジンチ”があったらしい…」。高射砲陣地、つまり来襲する敵軍用機を撃退するための、大砲を備えた施設であったというのだ。戦時中とは太平洋戦争中のことである。謎の巨大穴の正体、それは昭和の暗い歴史の証言者だったのである。

 全国の都市が次々と空襲を受けるようになった戦争末期にかけて、広島周辺にもこうした防空施設が数多く設けられた。もっとも、この穴の周辺からは大砲関連の部品やコンクリート、鉄骨といった建築資材、人の活動を示す生活物資などは見つからなかった。この陣地は未完成のまま放棄されたようだが、今では詳しい経緯はわからない。

 このように、地中に残る過去の戦争関連施設や戦闘の痕跡などを「戦争遺跡」と呼ぶ。約六十年ぶりに現れた寺山の陣地跡は、遺跡という言葉から連想される遠い過去のイメージに反して、戦後生まれの私でさえ戦争を意識するほど生々しく圧倒的な存在だった。人々の記憶から消え去っていたこの遺跡は、今あらためて平和都市・広島を見守っている。(広島市こども文化科学館学芸員・稲坂恒宏)

(2008年10月21日朝刊掲載)

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