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永井博士のバラ保存 始動 樹勢回復処置や囲い設置 広島

 広島市中区の平和大通りの緑地帯にある長崎の被爆医師、永井隆博士(1908~51年)ゆかりのバラの木が衰弱しているのを受け、この木を88年に植えた民間団体の関係者らが保存のための工事を始めた。バラの木は、樹勢回復を目指して市植物公園(佐伯区)に移設。約1年かけて必要な処置をしてもらい、元の場所に戻す。

 工事は、衰弱の原因となった日照不足や、周辺の土が踏み固められるのを防ぐのが狙い。高さ約80センチ、長軸約2メートルの楕円(だえん)状の囲いを設け、周囲の木も剪定(せんてい)する。約45万円の費用は、当時植えた市青年連合会の役員らでつくる「広島・長崎原爆都市青年友好平和のバラ保存委員会」が、市民からの寄付で賄い、4月末までに終える。

 初日の12日は、委員や工事関係者が集まった。正本良忠委員長(81)=西区=が「平和の願いが込められたバラを大切にし、被爆者医療に尽力した永井博士の功績も広めたい」とあいさつ。バラの木は、慎重に掘り返して鉢に移し、原爆慰霊碑の献水にも使われる「滝の観音」(西区)の水をかけて植物公園へ運んだ。土を入れ替え、くいも立てた。

 保存委員会は、来年4月ごろ、バラの木を広島市へ寄贈し、管理してもらう計画。万一枯れた場合に備えて、植物公園が「永井博士のバラ」として接ぎ木で育てている同じ品種のバラを1株、来月にもこの場所に植える。(増田咲子)

永井隆博士
 1908年、松江市生まれ。松江高を経て、長崎医科大(現長崎大医学部)へ。卒業後、放射線物理療法の研究に取り組む。45年6月、白血病と診断される。同年8月9日、長崎市で被爆。負傷しながら救護活動に当たる。熱心なキリスト教徒として知られ、病床でも執筆を続け、「長崎の鐘」「ロザリオの鎖」「この子を残して」などを残した。51年、43歳で死去。

(2014年2月17日朝刊掲載)

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