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被爆地から訴え 大きな力 イラク戦争20年 劣化ウラン弾 危険性を告発

 2003年3月20日のイラク戦争の開戦から20年。当時のブッシュ(子)米政権は、大量破壊兵器の開発を理由にイラクへ攻撃を仕掛け、「放射能兵器」ともいわれる劣化ウラン(DU)弾も使用した。結局大量破壊兵器は見つからず、世界では暴力の連鎖が続く。そして今、ロシアが侵攻したウクライナは戦禍にある。人類はイラク戦争から何を学んだのか。被爆地の取り組みを振り返りつつ考える。(森田裕美)

 NO WAR NO DU!。開戦直前の03年3月2日、広島市中区の中央公園に市内外から多くの人が集まり人文字を作った。その数、約6千人。

 「市民の熱意で実現できた達成感があった」。市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」顧問で当時人文字集会を呼びかけた森滝春子さん(84)は振り返る。それだけに、戦争が始まると「止められなかったショックと絶望があった」とも語る。

 ただ被爆地の訴えは世界に報じられ、湾岸戦争でも使われたDU兵器の存在と危険性を世に知らしめた。市民による人文字集会の実行委員会は、空撮写真を使い、米紙に意見広告を出した。

 その後、米英軍が使用したDUの実態調査のため現地入りし、帰国後は実情を国内外に発信。イラクの医師や研究者を日本に招いたほか、写真展や講演を通じDUが一因とみられるイラクでの小児がんの多発など被害の実情を訴えた。

 ICBUW(ウラン兵器禁止を求める国際連合)では創設から中心的な役割を果たし、06年には国内外から科学者や戦争被害者たちを広島に集めた千人規模の国際大会も開いた。被害を訴える人たちは、被爆地でなら苦しみを分かってもらえると語っていた。

 放射性廃棄物の軍事利用であるDUは放射線被曝(ひばく)という点でもヒロシマとつながる。被爆地からの訴えは大きなインパクトを持つことを常に心に留めておきたい。

戦争そのものを捉え直す時 嘉指信雄・神戸大名誉教授に聞く

 人文字集会で実行委員長を務め、ICBUW創設にも携わった嘉指信雄神戸大名誉教授(69)にイラク戦争を省みる意義を聞いた。

 ウクライナに侵攻したロシアのプーチン大統領は核兵器使用をちらつかせ、ザポロジエ原発を攻撃するなどむちゃくちゃなことをしている。イラク戦争から20年たち多くの人にとってDUの問題は意識の外にあるようだが、ロシアはDU兵器も保有しており、使用が懸念される。

 イラクでもウクライナでも、仕掛けた側は「大義」「正義」を持ち出す。しかし背景にある政治の論理は変わらない。私たちはイラク戦争の教訓を思い起こし、戦争そのものを捉え直す必要がある。

 ウクライナ侵攻前も各地で市民の反対運動はあったが、イラク戦争時ほどの高まりは見られなかった。世界で次から次へ深刻な事態が起き、ミャンマーや香港のように抑えつけられてしまうことへの無力感が強まっているのかもしれない。

 しかしDUの問題で言えば、禁止条約の制定には至らないまでも、米軍は昨年公式に26年11月までにDUを廃棄すると表明している。問題視してきた国際世論の成果だと言える。人と人としての信頼関係を築いていくことが、何よりも必要な時代だと思う。(談)

(2023年3月20日朝刊掲載)

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