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[ヒロシマの空白 証しを残す] 「無限の瞳」製作メンバーの古手さん 核への怒り 映画に込め

露の使用懸念 「友の無念 今こそ感じて」

 米軍の原爆投下から10年後、東京都の成城高の生徒会が製作した映画「無限の瞳」。市民から起こった原水爆禁止運動の草創期に被爆者の間で急増していた白血病で奪われた命と、その無念を心に刻んだ若者の訴えが記録されている。ロシアのウクライナ侵攻で核使用の懸念が高まる今、製作した元生徒たちは「映画を見て、核兵器廃絶の必要性を考えてほしい」と願う。(編集委員・水川恭輔)

 「千葉君を救おう。映画をつくったのは、その純真な気持ちと、戦争、原爆への怒りからです」。古手(こて)英三さん(85)=東京都=は成城高に在学中、生徒会の書記として製作に携わった。

 1954年秋、1学年上の3年生だった千葉亮(まこと)さんが骨髄性白血病のため入院した。広島市中心部の鉄砲町(現中区)の自宅で被爆して母と弟を原爆で亡くしており、父の転勤に伴い東京へ移っていた。ソフトボールが好きで、おとなしい生徒だったという。

 同じ年の3月、米軍の水爆実験で第五福竜丸が「死の灰」を浴び、原水爆禁止を訴える署名運動が全国的に広がっていた。「感じつつあった原水爆の恐ろしさが、千葉君のことで目の前に迫ってきた」。国から被爆者への援護はまだなく、生徒会は治療に必要な輸血費用の募金を始めた。

救援の輪広げる

 すると、同高生徒会が加わっていた青少年赤十字団に加盟する都内外の学校が次々と協力。近くの早稲田大生から、映画にして救援の輪をさらに広げることを勧められた。生徒会メンバーが映画の企画を千葉さんに伝えると、「楽しみにしている」と喜んだという。

 シナリオは生徒会長だった故工藤忠義さんが執筆。賛同した映画関係者も撮影指導などに協力した。55年3月に撮影を始め、病床の千葉さんのほか、募金の経緯を生徒や教員が演じて再現した映像を収録した。

 題名は、和歌山県の箕島高から千葉さんに寄せられた文集の「全国の『無限の瞳』が君の全快を見守っているのです」との言葉から取った。千葉さんは「暖かくなるころには良くなるよ。そうしたら恩返しに一生懸命働くよ」と前向きに闘病を続けていたが、55年5月3日に息を引き取った。

 「千葉君を救えず、挫折感に襲われました」と古手さん。それでも千葉さんの学校葬も撮影して製作を続け、5月下旬に完成した。最後の場面は残された生徒の思いを工藤さんが弔辞として読み上げている。「原水爆使用や、人間が人間を平気で殺す戦争には断固として反対する」「決して君の死を忘れない」―。

 映画は、各地の若者を行動に駆り立てた。愛知淑徳高(名古屋市)2年だった中村順子さん(84)=兵庫県西宮市=は55年の8月6日を前に同級生と千羽鶴を折り、広島赤十字病院に送った。「『無限の瞳』を紹介する雑誌記事で被爆者を襲う白血病の恐ろしさを初めて感じたからです」。後に「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんも当時受け取り、鶴を折るきっかけになったと同室に入院していた故大倉記代さんが手記に書いている。

記憶継承へ公開

 千葉さんの記憶を継承しようと、成城高は2020年度からユーチューブで映画を公開している。学校にあったフィルムは、国立映画アーカイブ(東京)に寄贈した。在学時に寄贈に関わった東北大1年中川喜弘さん(19)は「私自身、映画を見て千葉さんの死から核兵器の恐ろしさを自分ごととして考えた」と話す。

 保管してきたシナリオを広島市の原爆資料館に託す古手さんもまた、「核使用の危機が高まる今だからこそ多くの人に見てほしい」と話す。映画が再び、平和を求める市民の声を地域や国を超えて広げる一助となることを期待している。

被爆者の白血病
 白血病は血液のがんで、異常な白血球が増加して正常な血液細胞をつくれなくなる病気。外務省が2013年度に広島・長崎の専門家たちに委託した研究によると、被爆10年ごろにかけて被爆者の間での増加がピークに達し、発生率は被爆していない人の4~5倍、小児に限れば数十倍に達した。原爆の放射線でDNAを傷つけられたことが増加の要因になったと考えられている。

(2023年3月19日朝刊掲載)

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