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「ビキニ」60年見つめ直す 平和団体など相次ぎ現地へ

 マグロ漁船第五福竜丸が被曝(ひばく)した中部太平洋マーシャル諸島・ビキニ環礁での米国の水爆実験から、3月1日で60年となる。ことしの「ビキニデー」は、反核・平和団体や広島、福島のグループが現地を訪れ、放射能に汚染された島から避難している元住民を支援したり、世界の核被害地の若者が集うイベントを開いたりする。原水爆禁止の世論のうねりをつくり出す契機になった、もう一つの「あの日」をそれぞれが見つめる。(藤村潤平)

 日本原水協は今月25日から、島民支援代表団を派遣する。第五福竜丸の乗組員だった大石又七さん(80)=東京都=をはじめ、神奈川、茨城、愛媛の県原水協役員、医師、研究者たち計9人で構成。政府主催の記念式典に参加するほか、被曝した元住民からの聞き取りや健康相談を実施する。

 実験場のビキニ環礁から東約150キロにあり、86人が被曝したロンゲラップ島への上陸も計画する。米国の安全宣言で島民は1957年に一度は帰島したが、甲状腺機能障害などを訴える人が後を絶たず、85年に全員が自主避難した。米国は一部地域を除染した上で住宅を整備したが、元住民の不信感は根強く、公式な帰島に至っていない。代表団は、周辺の離島も含めて残留放射線量を測定する予定だ。

 メンバーの一人、神奈川県原水協の永沢丈夫代表委員(76)は「当時は高校生で、マグロが大量廃棄される現実に衝撃を受けた。60年を迎えても帰るに帰れない島民がいる実態をもっと多くの人に伝えなければ」と話す。

 マーシャル諸島の首都マジュロでは、広島市立大のロバート・ジェイコブズ准教授(歴史学)たちが28日から4日間、世界3カ所の核被害地の若者が交流するワークショップを開く。広島とマーシャル、旧ソ連時代に核実験場があったカザフスタンから集う。

 広島からは、同大2年の三好花奈さん(19)=広島市佐伯区=たち2人が参加する。被爆者の祖母の体験などを話す予定の三好さんは「それぞれの核被害の記憶を共有し、ともに発信していけばマーシャルへの注目度も高まる」と期待する。

 福島市在住のフリージャーナリスト藍原寛子さん(46)たちの研究グループも23日からマジュロなどを訪れる。古里を離れた元住民が、コミュニティーとして文化や伝統をどう維持してきたかを聞き取り調査。福島第1原発事故で避難した住民の帰還が進まない福島の復興への手掛かりにする。

マーシャル諸島での核実験
 米国が1946~58年、中部太平洋マーシャル諸島のビキニ、エニウェトク両環礁で67回(うち1回は上空で)実施した原水爆実験。特に54年3月1日のビキニ環礁での水爆実験「ブラボー」は、爆発力が広島原爆の約千倍の15メガトンに上り、大量の「死の灰」(放射性降下物)をまき散らした。ロンゲラップ環礁の住民たちが事前の避難勧告なしに被曝(ひばく)。洋上にいた第五福竜丸の乗組員も被曝し、無線長の久保山愛吉さんが半年後に死亡した。放射能汚染は多くの漁船に拡大、マグロの廃棄が相次いだ。米本土や日本など広い範囲が汚染されたことが米公文書で確認されている。

(2014年2月17日朝刊掲載)

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