×

連載・特集

廣島 広島 ひろしま 第3部 戦時下の街で <6> 路面電車

外観モダン 速度は遅め

 戦争末期、広島市内ではどのような路面電車が走っていたのだろうか。

 広島電鉄の資料によると、まず開業時からの木製電車である100形が健在であり、半鋼製の150形や200形、鋼製の400形といった単車(2軸車)がいた。さらに、大阪や東京からやってきた木造ボギー車(4軸車)や、自社発注の半鋼製ボギー車である600形、650形など、計百二十三両が市内線に属していた。

 そのころの電車は、まだ運転席が客室外にあるオープンデッキ構造のものも走っていたが、丸みを帯びた屋根に折り戸の出入り口といったモダンな外観を持つ車両も多かった。特に400形、450形車両は単車でありながら窓が大きく、車内も明るかった。

 ただ、単車は車体が短く、定員は現在より三十人少ない五十人弱。戦争末期は勤労動員も多く、ラッシュ時の混雑は激しかった。

 運転席は非常にシンプルで、コントローラーとブレーキハンドル、いくつかのスイッチ類といった程度だった。特にブレーキは現在のような空気ブレーキを搭載したものは少なく、重く大きなハンドルを回す手動ブレーキを装備した車両が活躍していた。

 戦時中は電力事情のほか、勤労動員された女生徒が重いブレーキを操作するといったこともあり、電車の速度があまり出ないようにされていた。

 原爆の惨禍をくぐりぬけて活躍を続けたこれらの単車の電車は、昭和四十六(一九七一)年の150形156号、157号の廃車を最後に姿を消した。

 現在、休日などに江波―横川間を走るレトロ電車は、157号の台車と台枠を使って昭和五十九(一九八四)年に復元したものである。156号は昭和六十二(一九八七)年に現役復帰したが、近年は江波車庫で保存されている。(広島市交通科学館学芸員・田辺あらし)

(2008年11月11日朝刊掲載)

年別アーカイブ