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連載・特集

廣島 広島 ひろしま 第4部 復興の足音 <1> お好み焼き

「一銭洋食」 庶民が工夫

 戦後の代表的な郷土食に広島風お好み焼きがある。その誕生にヒントを与えたのが「一銭洋食」である。子どものおやつとして大正から昭和初期に名をはせた。

 当時、世間は洋食ブームだったが、洋食はぜいたくで庶民がなかなか口にできるものではなかった。ましてや子どもが食べるとなると夢のまた夢。そんな中で、水溶き小麦粉を鉄板に延ばし、魚粉、ネギ、とろろ昆布などをのせて焼き、ウスターソースを少々塗った一銭洋食は、駄菓子屋さんや祭りの夜店で買える素朴な洋食の味だった。

 その庶民的な洋食が、戦後廃虚となった広島で一躍注目されるようになった。広島風お好み焼きの登場である。一銭洋食をボリュームアップさせたもので、復興に立ち上がった人々の胃袋を満たし、簡単に調理できる小麦粉食として、昭和二十五(一九五〇)年ごろから広まった。

 当初は、占領軍から配給される小麦粉を使った生地に、近郊で取れる安価なキャベツ、ネギなどをのせ、最後にウスターソースを塗る程度の野菜焼きだった。その後、お好み焼き屋さんの知恵と工夫、お客の味好みによって進化し、昭和三十年代には、現在の定番「肉・卵・そば入り」に近いお好み焼きが確立した。

 お好み焼きの味に欠かせないのがお好みソースである。ウスターソースは、こんもりと丘を形成するお好み焼きにかけるとサラリと流れてしまう。そこでお好み焼き屋さんとソース業者はウスターソースの沈殿物に着目。ドロッとしてうま味のあるソースを考案し、お好み焼き登場と時同じくしてお好みソースも販売された。

 お好み焼き屋さんには、サラリーマンらが集う歓楽街の屋台、近所の面々が集う住宅街の店があり、それぞれの性格のなかで歴史を積み重ねてきた。お好み焼きは、広島人の味覚が完成させた傑作品である。(広島市郷土資料館学芸員・山縣紀子)

(2008年12月9日朝刊掲載)

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