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連載・特集

廣島 広島 ひろしま 第4部 復興の足音 <2> カキ養殖

大阪に販路 隆盛の礎に

 広島を代表する産業の一つ広島カキは、全国の約六割の生産量を誇る。広島湾を含む瀬戸内海は穏やかでカキの成長に適した環境である。市内を流れる太田川は水量が多く、上流から土砂と栄養分を運ぶ。土砂は干潟を形成し、カキ、ノリの漁場となり、栄養分はカキの餌となるプランクトンを育てている。

 このような中、さまざまな養殖の技術改良が試みられた。昭和初期から三十年代にかけては、干潟に棚を作り、これに貝殻と竹などを交互に通した連をつり下げ育成させる杭(くい)打ち垂下(すいか)法が行われた。

 とりわけ昭和二十年代以降は、埋め立てなどで干潟が減少するといった環境の変化により、沖合に設置した筏(いかだ)に連をつるす筏垂下法が中心となった。

 当初、筏の材料は、杉やヒノキが用いられたが、製作費が高く、波や風に弱かったため普及しなかった。戦後、孟宗竹(もうそうちく)を用いた筏が開発された。この竹は、耐波性に優れ、製作費が安いという利点があり、広く利用された。カキの生産量も飛躍的に増加した。

 広島カキが全国に広まった理由の一つに「カキ船」による販売拡大がある。多くの船は、カキ売り船として大阪まで行き来した。なぜ、広島のカキ船だけが、大阪で自由に商いをすることが可能だったのか。

 そのきっかけは、一七〇七(宝永四)年の大阪大火である。ある橋のたもとに幕府や藩の命令などを知らせる立て札が立てられていた。それを安芸国草津村(現広島市西区)のカキ船の船主が船に移して消失から防いだ。その功績により販売場所を確保できるなど認められるようになり、全国に広まったのである。

 恵まれた自然環境と販売の拡大で、広島カキは今も全国一の生産量を誇る。伝統を守り、産地間競争に勝ち抜くための研究が日々進められている。(広島市こども文化科学館学芸員・山元康典)

(2008年12月16日朝刊掲載)

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