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連載・特集

廣島 広島 ひろしま 第4部 復興の足音 <6> 大博覧会

城復元し「過去」取り戻す

 終戦直後、広島市民の目の前には「今」だけが突きつけられていた。しかし、やがて「未来」の淡い光を感じ始めると、平和都市の復興建設に邁進(まいしん)した。

 被爆後に十三万七千人まで落ち込んだ人口も、一九五七(昭和三十二)年には戦前規模の四十万人にまで回復していた。広島駅前の区画整理、平和記念公園や百メートル道路の整備が進み、県庁、バスセンター、市民球場が次々と建設される中、市民生活は一応の安定を得た。

 これを受けて、広島市の復興を内外にアピールするため一九五八(昭和三十三)年、「広島復興大博覧会」が開催された。その目的は、復興を紹介し、近代科学技術の正しい認識、産業や観光事業の発展助長を進めることだった。

 会期は四月一日から五月二十日までの五十日間で、三十のパビリオンを置く三会場で開かれた。第一会場の平和記念公園では、博覧会の目玉の一つ、ソ連の人工衛星スプートニクの模型が展示された人工衛星館や原子力科学館が人気を集めた。第二会場の平和大通り東一帯は、演芸館や宇宙探検館にクジラの噴水、子供の国などでにぎわった。第三会場の広島城天守閣は、郷土館として復元されたもう一つの目玉で、歴史や自然に関する展示を行い、最上層からは市内を展望することができた。

 広島城の復元には大きな意味があった。最先端の科学技術である人工衛星の展示が「未来」の象徴であるなら、広島城は原爆によって断ち切られたかに見えた「過去」を取り戻したことを象徴するからである。広島の復興は「今」に「未来」と「過去」がつながって、やっと果たせたのだ。

 博覧会は、会期中晴天の日がわずか七日と、天候には恵まれなかった。しかし、最終的には九十二万枚を超す入場券を売り上げ、大盛況で幕を閉じた。(広島市郷土資料館学芸員・前野やよい)

(2009年1月27日朝刊掲載)

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