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連載・特集

廣島 広島 ひろしま 第4部 復興の足音 <8> 原爆ドーム

近代遺跡の基準見直し

 平成八(一九九六)年十二月五日は広島市民だけでなく、人類にとって記念すべき日となった。メキシコで開かれたユネスコ世界遺産委員会で、原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)の世界遺産への登録が承認されたのだ(登録は七日)。

 それよりも忘れてはならないのは、前年六月二十七日の国史跡指定。原爆ドームが「国民の財産」として保護されることになった。

 原爆ドームは広島市の復興が進む中、存廃論議もあり紆余(うよ)曲折を経て、昭和四十一(六六)年に市議会が保存を決議。国内外からの募金を基に、翌年と平成元(八九)年にそれぞれ保存工事が行われた。

 日本が世界遺産条約に加盟したのは平成四(九二)年。それを契機に原爆ドームを世界遺産に登録しようという声が上がり、市議会が意見書を採択、市も国へ要望書を提出した。

 国は当初、「原爆ドームは文化財保護法の保護を受けていない。だから推薦要件を備えていない。また指定にするには歴史が浅い」との見解だった。

 こうした国の重い腰を動かしたのは市民の熱い思いだった。市民団体「原爆ドームの世界遺産化をすすめる会」が結成され、国会請願のための署名運動が全国的に展開され、署名は百六十五万四千人に上った。市民活動は実を結び、平成六(九四)年に衆参両院で請願は採択された。

 翌年には、文化財保護法に規定される近代遺跡の史跡への指定基準が見直された。従来の「明治中ごろまで」から数十年下り「第二次世界大戦終結ごろまで」となった。その結果、原爆ドームが国史跡に指定され、世界遺産に登録するようユネスコに推薦された。

 市民の世界恒久平和の熱い願いは国を動かし、世界をも動かした。原爆ドームは平和都市形成の根幹をなすものであり、その保護は私たちの務めだと思う。(広島市文化財団文化財課学芸員・高下洋一)

(2009年2月24日朝刊掲載)

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