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連載・特集

廣島 広島 ひろしま 第4部 復興の足音 <10> ロータリーエンジン車㊦

「四十七士」 難題を解決

 東洋工業でのロータリーエンジンの実用化は、苦難の連続だった。このエンジンは、ローターハウジングというケースの中で三角のおむすび形をしたローターを回転させ力を得ている。

 しかし、当時の信頼性はきわめて低かった。長時間運転をすると、ローターハウジングの内側にチャターマークと呼ばれる波状摩耗が発生し、エンジンは停止した。しかも、この問題はNSU社(西ドイツ=当時)でも解決されていなかった。後にチャターマークは「悪魔の爪痕(つめあと)」とも呼ばれた。

 このほかにも問題を抱えていたため昭和三十八(一九六三)年、特別にロータリーエンジン研究部が設置され、社内から四十七人のスタッフが選ばれた。そして、部長に山本健一氏(後に社長)が就任する。山本氏は「今日からわれわれ四十七士はRE(ロータリーエンジン)完成まで、寝ても覚めてもREのことを考えてほしい。苦しいときは赤穂浪士のことを思い起こして頑張ってくれ」と檄(げき)を飛ばしたという。

 まず、チャターマークを解消するため、ローター先端にある気密を保つ部品(アペックスシール)を牛の骨などさまざまな材質で試してみた。またオイルの大量消費を軽減するため、オイルシールを開発。エンジンの回転を安定させるためローターを一つから二つにしたり、キャブレターも新たに開発したりした。さらに、燃焼効率を上げるため一ローターあたりのプラグを二つに増やすなどさまざまな研究・開発が行われ、ようやくロータリーエンジンの実用化となる。

 そして昭和四十二(六七)年五月、排気量四九一cc×2、最高出力一一〇馬力/七〇〇〇回転の10A型エンジンを搭載したロータリーエンジン車、コスモスポーツが発売されたのである。(広島市交通科学館主幹・籔田芳雄)=おわり

(2009年3月10日朝刊掲載)

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