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被爆の記録 色あせぬ 体験記「原爆の子」執筆者16人 広島の企画展を見学

 原爆投下から6年後の1951年に発行された少年少女の体験記集「原爆の子」に手記を寄せた16人が17日、広島市中区の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館を訪ね、体験記集を紹介する企画展を見学した。子どもの目でつづった「あの日」の記録を「多くの人に読んでほしい」と呼び掛ける。

 原爆の子は、故長田新広島大名誉教授が編んだ。企画展は初開催で2015年の被爆70年に向けた取り組み。収録105編のうち、被爆時4歳から小学3年までの67人の手記を専用端末で紹介する。焼け野原で行方不明の両親を捜す悲しみ、急性症状で髪が抜けたことへの不安などが素直な言葉で記されている。

 訪れた16人は、執筆者たちでつくる「『原爆の子』きょう竹会」のメンバー。小学3年で被爆し、母と姉を失った有重舜年(きよとし)さん(76)=安佐南区=は「マイナスからの出発だった」と振り返る。5歳だった奥(旧姓若狭)育子(やすこ)さん(73)=広島県府中町=は「あの時に書いておいたから、記憶は今も鮮明。69年前に何が起きたか、読んだ人に感じてほしい」と願っていた。

 企画展は12月28日まで。15年は被爆時小学4年~中学3年の38人を紹介する。きょう竹会の早志百合子会長(77)=安佐南区=は「メンバーが高齢化し、会もどれだけ続くか分からない。命ある限り発信していきたい」と話した。(加納亜弥)

「原爆の子」
 教育学者で広島大教授だった長田新氏(1887~1961年)が、教え子とともに編集した原爆被害の体験記集。小学生から大学生までの105人の手記を収録している。51年に岩波書店が発行し、日本語版は単行本で累計18万部、文庫本は上下で同8万部のロングセラーとなった。英語やロシア語、インドネシア語など13言語に翻訳されている。

(2014年2月18日朝刊掲載)

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