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社説・コラム

[誕生ゲートパーク] 作家・タレント うえむらちかさん 

故郷離れ「市民球場育ち」自覚 広島語り継ぐ場に

―旧広島市民球場跡地(中区)に31日、イベント広場や商業施設を備えた「ひろしまゲートパーク」が誕生します。「カープ女子」のうえむらさんにとって、旧市民球場はどんな存在でしたか。
 物心ついた時から「元祖カープ女子」の祖母や父たちと度々出かけ、自分の原点と言える場所。でも、いすは狭いし、急勾配で歩きにくいし…。子どもの頃は正直、「カープだけ、なんでこんなに古い球場なの?」と思っていた。

 自分にとって大事な存在だと気付いたのは、二十歳を過ぎて東京に出てから。神宮球場が市民球場みたいで、懐かしい気持ちになった。古いけれど温かみがあって、ドーム球場より好き。「自分は市民球場育ちなんだ」と自覚した。

  ―旧市民球場の最後をどのように見届けましたか。
 週刊誌の「さよなら市民球場」特集の取材で、舞台裏をのぞかせてもらった。印象に残っているのは三塁側のロッカールームにあった扇風機。「セ・リーグの皆さん 使って下さい♡ 寄贈ヤクルト」のメッセージと「2002年7月7日」の日付が書いてあった。クーラーも扇風機もないのを見かねて、(ヤクルトの)宮本慎也さんが寄贈したと聞いた。

  ―カープが弱かった頃を象徴するような話ですね。
 設備にお金をかけられなかったんだと思う。傷んだホームベースも裏方さんがトイレで丸洗いして、ペンキで塗り直していた。「一つ一つ手塗りなんだ」と驚いたのを覚えている。

  ―新生ゲートパークにどんな期待を込めますか。
 広島を語り継ぐ場所になればいいと思う。平和、歴史、カープ…。市民球場跡地には広島の大事なものが詰まっている。15歳で被爆した祖母は「カープがあったから戦後の大変な時期を乗り越えられた」と言う。80代から10代までのカープ女子を集めたトークショーを開いて、そんな祖母世代の話を聞いてもらえれば、焼け野原となった街に市民球団ができた歴史に触れるきっかけになる。

 広島の復興の象徴のような場所だけに、コンサートなどで平和を考える場にもなればいい。世界に発信するイベントを開くにもふさわしい場所だと思う。(聞き手は馬場洋太)

 広島県海田町生まれ。07年に芸能界デビュー。女優、タレント、小説家として幅広く活躍する。著作に「カープ女子2014年の軌跡」「うえむらちかのカープごはん。」など。

(2023年3月29日朝刊掲載)

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