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平和の祈り 歌で広めたい 原爆で犠牲 父へ思い込め 福山の被爆者広中さん、音楽家向井さんと制作

 福山市手城町の被爆者広中正樹さん(83)が自身の被爆体験を基に、尾道市向島町の音楽家向井じゅんさんと歌を作った。広島市の「被爆体験証言者」などとして全国の小中高の修学旅行生たちに体験を語っている広中さんは活動の際に流し、「一緒に口ずさむことで平和の輪を広げたい」と思い描く。(猪股修平)

 曲名は「父子(おやこ)の別れ・親子の想い」。広中さんが原爆投下直後の光景や犠牲になった父の最期の姿、平和への祈りを歌詞につづり、向井さんが4分40秒の曲に仕上げた。広中さんはCD300枚も作っており、語り部活動を通して出合う学校などに配る。

 広中さんは5歳だった1945年8月6日、爆心地から約3・5キロの自宅そばで被爆した。鉄道局の職員だった父・一(はじめ)さん=当時(37)=は出勤途中、爆心地近くを走っていた電車内で被爆。全身にやけどを負い、歩いて帰宅した。背中に刺さったガラス片を「ペンチで抜いてくれ」と頼まれたが、体に食い込み取れなかった。一さんは翌7日に亡くなった。

 広中さんは長年、広島市中区の原爆資料館などで修学旅行生たちに体験を語ってきた。一方でより記憶に残る方法はないかと考え続けていた。「音楽に乗せれば、情景も思い浮かびやすいのではないか」。思いを巡らせていた昨年秋、福山市内の飲食店で偶然、向井さんと出会った。初対面だったが、音楽家と知り作曲を依頼。「被爆体験の継承に協力できるなら」と向井さんは快諾した。

 一さんとの思い出で色濃く残るのは、子どもを預かっていた自宅近くの寺に手をつないで一緒に通ったこと。水車が回る、のどかなあぜ道だった。寺に着くと、姿が見えなくなるまで手を振り続けた。そうした幼少期の思い出も歌詞に込めた。

 「〽水車の音がコットン コットン」「〽父さんの温(ぬく)もり 忘れない」―。向井さんの知人の協力で歌詞の英訳版も作った。「平和を祈る気持ちを歌を通じて世界の人たちと共有したい」と願う。

(2023年4月4日朝刊掲載)

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