×

ニュース

バーンスタイン 反核訴えた半生 ハワイ大教授がノンフィクション 85年広島公演 「書簡」交え読み解く

 20世紀を代表する指揮者であり作曲家だった米国出身のレナード・バーンスタイン(1918~90年)。その半生をたどるノンフィクション「親愛なるレニー」を、ハワイ大教授の吉原真里さん(54)が出版した。被爆40年に広島市内で「広島平和コンサート」を開いたマエストロの心情を読み解き、反核運動家としての姿を描く。(桑島美帆)

 85年8月6日夜。バーンスタインは中区の広島郵便貯金会館ホール(現上野学園ホール)で、約1800人を前に自作の交響曲第3番「カディッシュ」を指揮した。マエストロはなぜこのチャリティー公演を引き受けたのか。本書では、マエストロと文通した2人の日本人の書簡、さらには当時の国際情勢を交えながら解き明かしていく。

 「ユダヤ系のバーンスタインは若い頃に戦争を肌で感じた」と吉原さん。ミュージカル「ウエスト・サイド物語」(57年)で成功を収め、ニューヨーク・フィルの音楽監督を務めたマエストロは、米ソの軍拡競争が激しくなるといち早く反核運動に参加した。米国のケネディ大統領や国連大使へ核実験の延期を求める電報を打ち、核兵器凍結を訴える水色の腕章を着けて舞台に立つこともあったという。パレスチナで公演するなど社会問題にコミットし続け、「音楽家としての道のりと戦争、平和が密接に結びついていた」。

 バーンスタインは広島滞在中、記者会見などで反核を発信し続けた。プログラム冊子には「無益な核ミサイルの貯蔵に、(略)嫌悪すべきものを感じませんか」「なぜ、われわれは、このような自殺行為を続けるのでしょうか」とメッセージを寄せている。吉原さんは「広島平和コンサートは自分の信念を表現するのにふさわしい企画だった」とみる。

 本の副題は「レナード・バーンスタインと戦後日本の物語」。2人の日本人の書簡が、歴史的な場面に臨場感を添え、バーンスタインの思いや素顔を立体的に浮かび上がらせている。バーンスタインが25歳でデビューした直後からファンとして親交を深めた天野和子さんと、公私ともにパートナーだった橋本邦彦さんだ。

 吉原さんと書簡との出合いは偶然だった。2013年、日米の文化政策を研究するため、ワシントンの米議会図書館でバーンスタインの資料目録を眺めていると、2人の日本人の名前が目に留まったという。「手紙をむさぼり読むうち、本にしなければという使命感が湧いた」

 世界的な影響力を保ちながら、社会問題に対してもメディアを活用して積極的に発言し続けたバーンスタイン。ユダヤ系移民の父親は、ウクライナにゆかりがある。吉原さんは「今生きていればデジタルメディアを駆使し、怒り狂って声を上げているだろう」と、往年の巨匠に思いをはせた。

 アルテスパブリッシング。2750円。

(2023年4月6日朝刊掲載)

年別アーカイブ