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社説・コラム

[A Book for Peace 森田裕美 この一冊] 「ヤマネコ・ドーム」津島佑子著(講談社)

「見えないもの」あらわ

 ひときわ目を引く表紙の写真は、中部太平洋マーシャル諸島にあるルニットドーム。かつて現地住民を強制移住させ核実験を繰り返した米国は除染で生じた放射性物質をここに投棄しコンクリートでふたをした。近年、老朽化による汚水の海洋流出も懸念されている。ところが本書には、マーシャルも核実験も出てこない。ならばこのドームが示唆するものは何か―。深い思考を促す長編小説である。

 日本の敗戦後の占領期から福島第1原発事故後まで叙事詩のように物語を織りなすのは、米兵と日本女性との間に生まれた「混血孤児」たちだ。カズとミッチは日本の養母とそのいとこの娘ヨン子と共に育つ。彼らは敗戦でもたらされた支配の象徴とも言え、社会の周縁に追いやられ不可視化された存在でもある。

 そんな彼らの人生の時間軸は、日本の戦後史や米国の戦争・暴力の歴史とも重なる。例えば、養子にもらわれ渡米した仲間はベトナム戦争に駆り出され行方が分からない。物語にはほかに、ケネディ大統領暗殺や湾岸戦争、米中枢同時テロなども登場する。

 歴史的大事件とは別に彼らの心に影を落とすのが、子ども時代に体験したある少女の謎の死。読者は謎解きにいざなわれるが、60年余の時間を行き来しながら三人称で展開される語りは輻輳(ふくそう)的で、安易な推理を拒む。

 ラストは原発事故後、見えない汚染の恐怖の中にある東京。幼き日の謎を解かぬままに還暦を過ぎたミッチたちの姿は、原発や日米関係をはじめ諸問題を放置してきた戦後日本社会とも二重写しになる。私たちに見えていないのは放射線に限らない。戦争や核、支配や差別…。構造的暴力をもあぶりだす一冊だ。

これも!

①本庄豊著「児童福祉の戦後史」(吉川弘文館)
②青木冨貴子著「GHQと戦った女 沢田美喜」(新潮文庫)

(2023年4月10日朝刊掲載)

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