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連載・特集

闇から光へ 趙根在、療養所の記録 <下> 炭鉱労働を経験 共感の写真

尊厳求める「同志」に向き合う

 およそ半世紀前に全国各地のハンセン病療養所を巡り、貴重な写真記録を残した趙根在(チョウグンジェ)。その仕事をたどる企画展が原爆の図丸木美術館(埼玉県東松山市)で開かれるきっかけには、九州・筑豊を拠点とした作家上野英信(1923~87年)の存在がある。

 現在の山口市に生まれた上野は、旧満州(中国東北部)にあった建国大から学徒出陣で入営し、広島で被爆。その後、京都大を経て筑豊で炭鉱労働者となり、やがて記録文学作家として活躍する。同じく炭鉱労働の経験がある趙は65年ごろ、上野の文化活動の拠点だった「筑豊文庫」を訪ね、励まされたという。趙が埼玉県に住んでいた82年、逆に上野から来訪を受け、筑豊の写真集作りへの協力を依頼される。上野と連名の監修者として「写真万葉録・筑豊」(全10巻)を刊行した。

 丸木美術館の岡村幸宣(ゆきのり)学芸員は、炭鉱労働の記録画をテーマにした2013年の企画展のために上野について調べる中で、趙を初めて知ったという。14年、国立ハンセン病資料館(東京都東村山市)の展示で趙の作品をまとまって目にしたことで思いを強め、今回の展覧会につなげた。

 「炭鉱」という、ハンセン病とは一見無関係な切り口から実現した趙の写真展。そこには、差別や後遺症の苦しみの中、人間の尊厳を求め続けた療養所の人々の姿が捉えられている。「ハングル講座」は、菊池恵楓園(熊本県)での1枚。民族の言葉を取り戻そうとする入所者の表情が晴れ晴れとしている。「森田竹次」は、のちに評論集「偏見への挑戦」(1972年)をまとめる著者の肖像。瀬戸内市の長島愛生園に暮らし、口にくわえた万年筆で原稿用紙に向かった。

 炭鉱の少年労働者として満足に学校に通えず、文字を書くのにも苦労し、写真表現を志したという趙。彼にとって入所者は、人間性の回復に挑む同志にほかならず、その深い共感が類例のない記録に結実した。炭鉱はやはり、本展のキーワードなのだ。多くの犠牲者も出した暗闇の労働や、戦後の経済成長を経て国内のほとんどが閉山に至る歴史を内包した言葉として。

 趙が亡くなる前年の96年、「らい予防法」は廃止された。入所者たちの裁判闘争を経て、01年には国の隔離政策への反省を前文に記した「ハンセン病補償法」が成立した。だが、かつて「前近代の象徴」として患者たちの強制隔離に同調した社会の意識が変わったかは、なお問われている。らい予防法のような「前近代的な法律」が、新たに国家の恥とされただけであってはならない。

 「近代国家が急いで駆け抜けた歴史の裏に置き捨てられ、それでも人間としての尊厳を失わなかった人たちの生きた証を伝える、かけがえのない仕事」―。趙の創作を評し、岡村学芸員は本展図録にそう記す。「地底の闇、地上の光」と題された本展は、歴史の暗部に目を凝らし、光を当てる大切さも今に告げている。(編集委員・道面雅量)

 ≪メモ≫原爆の図丸木美術館は、丸木位里・俊夫妻が共同制作した連作「原爆の図」を常設展示。企画展示室で「趙根在 地底の闇、地上の光」を5月7日まで開催している。月曜休館。一般900円など。☎0493(22)3266。

 国立ハンセン病資料館では、趙の写真が常設展のパネルに活用されているほか、5月7日までの企画展「ハンセン病文学の新生面」会場にも関連で掲示されている。月曜休館。入館無料。☎042(396)2909。

(2023年4月8日朝刊掲載)

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