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連載・特集

@ひろしまサミットまで 41日 新藤兼人監督

 原爆投下後の広島市で、最初に劇映画のロケが行われたのは1952年。佐伯区出身の新藤兼人監督の「原爆の子」でした。被爆した教育学者の長田新さんが編んだ子どもの手記集を基に監督自ら脚本を執筆。先生役の乙羽信子さんが、被爆7年後の教え子を訪ねる物語です。カンヌ国際映画祭でも上映され、原爆被害を訴える映画として反響を呼びました。

 広島市で撮った「母」「さくら隊散る」「石内尋常高等小学校 花は散れども」をはじめ、2012年に100歳で亡くなるまでに残した映画は49本。原爆が落ちた瞬間の残酷さを映画にする構想も抱き続けました。実現すれば、核兵器の非人道性を物語る貴重な一本になったでしょう。(渡辺敬子)

(2023年4月8日朝刊掲載)

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