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連載・特集

@ひろしまサミットまで 38日 被爆前の街

 江戸期の広島は太田川デルタを船が行き交う水運の街でしたが、1889年の宇品港(現広島港)築港を機に海運の一大拠点となっていきます。兵員輸送や補給を担う軍都として発展し、中国地方の中心都市に。本通りや八丁堀、紙屋町などにはいつも買い物客の人波がありました。

 1945年8月6日、原爆により一帯は壊滅しました。市内に約35万人がいたとみられ、同年末までの死亡は約14万人といわれています。いずれの数字も推計にとどまり、被害の全容は未解明です。人命も街も行政記録も焼き尽くされたゆえの「分からなさ」自体が、原爆がもたらす悲惨さを物語っています。(金崎由美)

(2023年4月11日朝刊掲載)

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