『生きて』 元プロ野球選手 張本勲さん(1940年~) <1> 安打製造機
15年5月19日
最多の3085本積み重ね
広島市南区出身の張本勲さん(74)=東京都大田区=は、日本プロ野球界最多の3085安打を積み重ねた。幼少時に負った大やけどが原因で右手の自由をなくし、5歳の時には原爆で姉を亡くした。高校時代に在日韓国人2世との理由で、不当な差別にも遭った。壮絶な経験を不屈の精神で乗り越え、日本を代表する「安打製造機」に。引退後は解説者として活躍する一方で、自らの被爆体験を若い世代に伝える。
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苦しいことばかりの現役23年でした。もう一度、野球選手になりたいかと聞かれたら、絶対になりたくないと答えています。5本の指をしっかり動かせるなら違ったでしょうが、こんな不自由な右手で苦しかったことを思い出すと、もうやりたくないというのが正直な思い。
右手のことがあるから、現役時代は人の3倍も4倍も練習しないといけなかった。試合が終わって帰宅しても、1日300本の素振りを自分に課しました。年末年始も関係なく、23年間、欠かしたことがありません。夜中にバットを振りたいので、寝るのは家族とは別の部屋。それくらいしないと、相手に負けると思っていました。それでも後悔はあります。もっと練習しておけば、いい成績を残せたのではないかと。
≪努力で築き上げた野球人生。原動力はハングリー精神だった≫
貧しさを経験しているから、二度とあんな思いをしたくない。おいしいものを腹いっぱい食べたいし、親きょうだいにもいい思いをさせたい。そんな思いが根底にありました。そういう意味では当時はロマンがありましたよね。確かに苦しかったけれど、野球で活躍していい生活をするんだという夢があったんだから。
≪16歳で広島を離れ、60年近くがたつ。それでも古里への思いが薄れたことはない≫
プロ入りの時もできればカープに行きたかったし、今でも気になる存在。広島で生まれ育ったからこそ、原爆などいろんな経験をしたと思います。ほかの土地だったら、どうだったか。苦しいこと、つらい思い出もあるけれど、広島はやっぱり私の心です。(この連載は、東京支社・日野淳太朗が担当します)
(2015年5月19日朝刊掲載)