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非核 ビキニの教訓刻む 水爆実験60年 追悼式 マーシャル諸島

 米国による太平洋・マーシャル諸島ビキニ環礁の水爆実験で周辺住民やマグロ漁船第五福竜丸の乗組員が被曝(ひばく)してから60年を迎えた1日、同国の首都マジュロで被曝者を追悼する式典があった。ロヤック大統領たち政府要人や遺族、日本の関係者が参列し、犠牲者の冥福を祈った。 (マジュロ(マーシャル諸島)発 藤村潤平)

 式典はマーシャル諸島政府が主催した。国歌を斉唱後、参列者全員で黙とう。同じ核被害地として広島市から初めて公式参加した広島平和文化センター(中区)の小溝泰義理事長は「核兵器は非人道的な兵器で絶対悪。核兵器のない世界の実現に向け、皆さんと一緒に努力し続けたい」と呼び掛けた。

 第五福竜丸の元乗組員、大石又七さん(80)=東京都=も登壇。船上で放射性降下物「死の灰」を浴びた体験を紹介し、「核兵器を造るためにマーシャルの人々が犠牲になった。被害を与えた国は被害者に補償すべきだ。私は核兵器にも原発にも反対だ」と訴えた。

 式典の最後に、核兵器廃絶に向け連帯を呼び掛ける広島市の松井一実市長と広島県の湯崎英彦知事のメッセージが読み上げられた。

 このほか日本から、現地で世界の核被害地の若者が交流するワークショップを開いている広島市立大(安佐南区)の学生や福島第1原発事故があった福島県の大学生たちが参列。米国からはガテマラー国務次官代行(軍備管理・国際安全保障担当)が出席した。

 式典に先立ち、参加者は核被害をアピールする横断幕やプラカードを掲げ、会場周辺を行進した。

マーシャル諸島での核実験
 米国は1946~58年、太平洋・マーシャル諸島のビキニ、エニウェトク両環礁で67回(うち1回は上空)の原水爆実験を実施した。特に54年3月1日のビキニ環礁での水爆実験「ブラボー」は、爆発力が広島原爆の約千倍の15メガトンに上り、大量の放射性降下物「死の灰」をまき散らした。周辺のロンゲラップ環礁の住民は、事前の避難勧告などはなく被曝(ひばく)。洋上のマグロ漁船第五福竜丸の乗組員も被曝し、無線長の久保山愛吉さんが半年後に死亡した。放射性降下物による汚染は多くの漁船に拡大、マグロ廃棄が相次いだ。米本土や日本など広い範囲が汚染されたことが米公文書で確認されている。

(2014年3月1日朝刊掲載)

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