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社説・コラム

『想』 細川洋(ほそかわよう) 繋(つな)ぐ

 一昨年3月、ある広島県立の通信制高校が閉校した。同時に私は同校最後の校長として退職した。定時制や通信制、全日制の小規模校や社会教育・生涯学習をかじり、知事部局で児童自立支援施設や児童相談所に勤めるなどなかなかに面白い39年間の公務員人生であった。

 退職して、さてこれから何をしようかと考えあぐねた。「退職後は夫婦旅行に行こうね!」と固く約束していた妻は、5年前にがんで先立ってしまった。居住資格を失ったために官舎は即刻出ねばならぬ。ちょうど父親の持病が悪化し、入退院を繰り返した。空いた実家に、これ幸いと移り住むことに決めた。

 ところがである。4年前に亡くなった母親を90を過ぎた老父が老老介護していたので実家は荒れ放題の「ごみ屋敷」。どうにか私の荷物は押し込んだものの、布団を敷く隙間もない。引っ越したその日から、果てしない片付けとごみ捨てが始まった。おまけに築60年の家屋はブロック塀の崩落や風呂の水漏れなど深刻な傷み具合で、大規模リフォームも余儀なくされた。

 現在95歳の父浩史(こうじ)は、被爆者として長く国内外で証言活動をしてきた。それは旧逓信省から電電公社(現NTT)を退職した60歳ごろから始まった。それまでは家庭内で原爆について語ることもなく、意固地で頑固で決して社交的とは言い難い人であった。膨大な資料や写真を整理しながら、退職後、仲間に囲まれ実に楽しそうに活動している父の表情に驚いた。戦争に青春を奪われ原爆で最愛の妹を亡くした父が失われた時間を取り戻しているかのような、生き生きとした笑顔を見せているのだ。

 私もことし64歳、父が証言活動を始めた歳を過ぎた。広島市の家族伝承者1期生として、父が語ってきたことを次代に伝えたい。できれば、平和教育からは遠いところにあるとみられる少年院などで、そうした場をつくりたい。また私が現在教授を務めている大学でも、ユニークな職歴から得た知見を、次世代の先生方に伝えていきたい。  老後のテーマは「繋ぐ」と定めた。(被爆体験家族伝承者)

(2023年4月20日朝刊セレクト掲載)

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