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連載・特集

『生きて』 通訳・被爆者 小倉桂子さん(1937年~) <1> ヒロシマを伝える

被爆地の力 信じて発信

 英語を話す被爆者として国内外で体験を語り、通訳として海外から広島を訪れる人々を案内する。現役の会社社長でもある小倉桂子さん(85)=中区=のスケジュール帳はいつも予定で真っ黒だ。間もなく被爆地で開かれる先進7カ国首脳会議(G7サミット)を前に、全身全霊でヒロシマを語ってきた歩みを聞く。

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 気がつけば人生の半分以上を、平和活動に費やしてきました。証言や通訳、取材の依頼で、ご飯を食べる間もないときもあります。40代まで長く主婦でした。日系2世で英語が堪能だった夫の小倉馨は、広島市で原爆資料館長や市長室次長を務め、海外要人の通訳や案内もしていました。だからヒロシマを伝えるのは夫の仕事だとばかり思ってきました。

  ≪1979年、馨さんが急逝。代わりに海外から広島案内や通訳の依頼が次々舞い込むようになる≫
 第二の人生が始まりました。子ども2人を育てながら夜は英語講師の仕事、昼間は来訪者の案内に追われました。1人では大変なので仲間を募って発足したのが、今も代表を務める「平和のためのヒロシマ通訳者グループ(HIP)」です。

 年2千人くらいに話をします。紛争地から来た人は被爆を生き延びた市民がどう今の広島をつくったのかを聞き希望を見いだします。一方、私が被爆体験を語ってもなお原爆投下を正当化する米国人もいます。

  ≪ロシアのプーチン大統領は核兵器の使用をちらつかせ、世界では「核抑止論」が勢いを増している≫
 絶望で泣きそう。でも諦めません。風来坊だった青年が母国で反核運動家となったり作家として作品で伝えたり。ヒロシマに触れることで大きく変わった外国人を何人も見てこの地の持つ力を実感しています。

 広島に集うG7の首脳は核保有国や核の傘にいる国のリーダー。もちろん被爆者の声を聞いてほしいですが、まずは犠牲者を悼み、資料館で遺品を見てほしい。黒焦げの弁当箱の向こうには食べられないまま焼かれた子、作った母親がいる。広島で想像力を膨らませて「こうしてはいられない」と自国の政策を考え直す機会にしてほしいのです。 (この連載はヒロシマ平和メディアセンター・森田裕美が担当します)

(2023年4月25日朝刊掲載)

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