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連載・特集

@ひろしまサミットまで 24日 原爆孤児

 原爆投下時、広島市内の児童約8300人は空襲を避けて集団疎開していました。家族を失った原爆孤児の数は今も不明ですが、1948年の国の調査では、広島県内の孤児は東京を超えて最多の5975人でした。

 僧侶の故山下義信さんは45年12月、原爆孤児のために私財を投じて五日市町(現佐伯区)に広島戦災児育成所を開設。53年に市へ移管するまでに171人が身を寄せました。毎年、今の平和記念式典に参列。ある孤児は作文で「線香のけむりがもくもくと立ち上がり、頭が重くなったような気がして胸は悲しみで一ぱい」「夕方本堂に参拝して、心を静めて、お父様、お母様のめいふくを祈った」と書き残しています。(宮野史康)

(2023年4月25日朝刊掲載)

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