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社説・コラム

『書評』 よみがえるデルタの祭礼 神道学者・中道豪一さん 「古地図と歩く広島」刊行

イメージ喚起 現代につなぐ

 原爆でついえた広島デルタの祭礼のネットワークはかくも豊穣(ほうじょう)だった。広島市の神道学者中道豪一さん(44)が江戸―戦前―戦後の絵図や地図を駆使し、伝承も織り込んで「古地図と歩く広島」を書き下ろした。かつて庶民が土地土地で大切にしてきたものとは何か、先進7カ国首脳会議(G7サミット)を控えた被爆都市に問いかける一冊だ。(客員特別編集委員・佐田尾信作)

 中道さんは広島駅前で120年続く商家が実家。祖父母の昔話を聞いて育ち、国学院大では神道学とともに口承を重んじる民俗学を学んだ。帰郷後は広島修道大非常勤講師として「ヒロシマ文化論」を教えるうちに、自分のよって立つ土地に関心を抱く学生が意外に多いことに感じ入った。

 当初は授業内容を学術書として詳述する構想だったが、原爆で失われた記憶を現代につなぐにはイメージの喚起が大切だと気付く。版元の勧めもあり「広島城下町絵図」など江戸期の絵図、「大日本職業別明細図 大広島市」など明治後期と戦前昭和の地図それぞれに庶民に親しまれた寺社旧跡を図示し、最新の地図で散策のためのモデルコースを提案。全編を<中島町>など19のエリアに分けたガイドブックに仕上げた。

 中島町(中区)の平和記念公園は戦前、一大繁華街だった。寺社も多く、噴水の辺りに浄土宗の大伽藍(がらん)・誓願寺があり、境内に厳島大明神が勧請されていた。この大明神が厳島神社(廿日市市宮島町)の管絃祭が執り行われる旧暦6月17日には、同じように参詣客でにぎわい踊りの輪や相撲見物の輪ができたという。

 同じ日、白島九軒町(中区)ではたいまつを掲げる火振りが営まれ、京橋川では飾り立てた御供船(おともんぶね)が厳島神社との間を往来する。その夜は家々の屋根に高ちょうちんが掲げられた。本書は四国五郎の絵も交え、今では想像もできない夢幻の世界を描き出している。

 南区の<比治山とその周辺>では今は忘れられた谷の名前を地図に落とした。「江戸期の地誌のほか、麓にあった広島女子商高の校歌、土地の人の語りや古い写真からヒントを得て特定しました」と中道さん。良い水が湧き出る辺りは「お茶屋谷」と呼ばれていたことが分かり、風情のある土地だったと想像できる。

 また西区の<天満町・観音町界隈>では、五穀豊穣を願って大国主命をまつる出雲神社や出雲社が現存することも興味深い。広島湾に浮かぶ仁保島だった南区の<黄金山とその周辺>では、明治期に住民によって開かれた本浦説教所や講に触れ、真宗信仰に根差した土地柄が語られている。

 「神道、仏教、儒教。これらはみな人間の心を磨くための磨種(とぎぐさ)である」と中道さんは提唱する。江戸中期の思想家石田梅岩の教えだという。広島デルタの古い絵図や地図。先人の心のよりどころを今に伝えていると言っていいのだろう。

 A5判143ページ、南々社刊、1870円。

(2023年4月26日朝刊掲載)

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