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被爆地の視座 サミットを前に 「核依存」脱却 G7で一歩を

 米軍による人類史上初の核攻撃を受けた広島と長崎の市民は、力を振り絞り、人類を滅ぼす兵器の廃絶を訴えてきた。核兵器が自国の安全を守るという核抑止の認識は幻想であり、使われる可能性と、悲惨な結末こそが現実なのだ、と。

 ウクライナに侵攻したロシアのプーチン大統領が核兵器で威嚇する今、被爆地の声は重みを増す。だが、国際社会は逆に核抑止重視へ振れている。日本政府も米国の核抑止力に依存する政策を堅持。被爆地と被爆国政府の間に深い溝が横たわる。

 広島市では初となる先進7カ国首脳会議(G7サミット)の開幕が19日に迫る。地元選出で議長役の岸田文雄首相は「核兵器なき世界」を呼びかけるとともに、いかなる国の核兵器使用も依存も許さないための一歩をしるせるだろうか。被爆地は見つめている。

「核の傘」頼る国とは溝深く

 核抑止は、1発で都市ごと壊滅できる核兵器をちらつかせ、いざとなれば使える体制を保ちながら相手国に攻撃を思いとどまらせるという脅しの理論だ。核兵器を持たない日本は、米国が差しかける「核の傘」(拡大核抑止)を安全保障の柱とする。被爆者たちが訴える、核兵器の非人道性と廃絶とは本質的に相いれない。19日に広島市で始まる先進7カ国首脳会議(G7サミット)を前に被爆地と被爆国政府の溝を考える。

声かき消す言動

 「核抑止論に基づく発想は、核戦争がもたらす人間的悲惨さや地球環境破壊などを想像できない人間の知性の退廃を示している」。1995年11月、広島市長だった平岡敬さん(95)は核兵器の使用と威嚇の違法性を審理していたオランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)での陳述に臨み、訴えた。これに対し、日本政府側は「政府の立場から独立したもの」「必ずしも政府の見解を表明するものではない」と一線を引いた。

 2017年7月には、米ニューヨークの国連本部での会議で核兵器禁止条約の採択を見届けたカナダ在住の被爆者サーロー節子さん(91)が演説し、「私たちは失敗した核抑止に後戻りしない」と宣言。その4日後、外相だった岸田文雄首相は記者会見で「条約の交渉自体わが国の基本的な考え方と相いれない」と突き放した。

 日本政府は「核兵器なき世界」に賛同しながら、被爆地の声をかき消すような言動を続けてきた。米国政府高官の証言などによると、米国が核搭載用の巡航ミサイルの退役を打ち出そうとした09年前後に、日本政府は強く反発。16年に広島を訪れたオバマ米大統領(当時)が核兵器の役割を限定する宣言政策を検討し、頓挫した際も、日本政府が水面下で強硬に反対していたと報じられた。

 外務省出身の阿部信泰・元国連事務次長(軍縮担当)は「日本が米側に核抑止力の強化を求めてきたことは間違いない」と語る。核兵器を持つ中国、北朝鮮と海を挟んで接する日本は、ウクライナ危機を見てさらに核依存へ傾斜するかのようだ。広島サミットに向けて4月に長野県であったG7外相会合でも核抑止を肯定した。

 一方、被爆地や専門家は核抑止に頼る安全保障に警鐘を鳴らしてきた。阿部氏も加わる核軍縮・軍備管理を巡る有識者会議「ひろしまラウンドテーブル」(藤原帰一議長)は昨年7月、核抑止の有効性について「十分な証明は行われていない」と議長声明で指摘した。

「広島で実感を」

 核抑止は「こんな思いを、ほかの誰にもさせてはならない」という被爆者の訴えにも反する。国内外で証言活動をしてきた被爆者の田中稔子さん(84)=東区=は広島サミットへ集う首脳たちに「広島で何が起きたのかを自らの目で見て、実感して」と切に願う。

 被爆者の苦難を知りながら日本政府が核抑止に頼るのは「原爆被害を小さく評価し、戦争被害を市民に受忍させた政策と表裏一体」と平岡さんはみる。核軍縮機運が後退した国際情勢下でも、被爆の実態を踏まえ、あらゆる戦争被害を許さない外交努力が被爆国政府に求められる。(金崎由美、田中美千子)

(2023年5月1日朝刊掲載)

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