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社説・コラム

『想』 木村順子(きむらじゅんこ) 広島のゲルニカ

 被爆から100年後となる2045年に向けて被爆地広島から全世界に平和への思いを伝える「ウォールアートプロジェクト」が昨年4月、完成しました。原爆ドームそばに立つ「おりづるタワー」の9層からなるスパイラルスロープに、20~90代の9人のアーティストが巨大な壁画に思いを残しました。

 「広島に『ゲルニカ』のような作品を残したい」と話していた光陽会名誉委員で、92歳の被爆画家である三浦恒祺さんの願いをかなえるため、私は作品を壁画として残すこのプロジェクトに参加しました。

 三浦さんは15歳の時、トラックで陸軍の荷物を運ぶ途中に爆心地から約4キロ北で被爆。想像を絶する地獄絵図の中をさまよい、東千田町の自宅にたどり着いて家族と再会できました。そして終戦の日の8月15日、両親の生まれ故郷である山形県鶴岡市に移住し、現在に至ります。

 自身の体験を絵にしようとキャンバスに向かうも、あまりに残酷な光景を表現することができず、何度も断念したそうです。それでも「抽象画ならば」と作風を変え、1961年に「原爆の形象」第1作目を完成させました。この作品は母校である現在の広陵高校に寄贈されています。

 それからしばらくは描くことができなかったそうですが、被爆者の会への入会をきっかけに「原爆の形象」をシリーズ化して、42の大作を完成させました。ウォールアートはこの中から3点を選び、一つの作品にしたものです。

 原爆の強烈さと恐怖、そして大きな太陽をモチーフにした幅24メートルに及ぶ巨大な壁画で、サーロー節子さんの言葉に感銘を受けた三浦さんが「光に向かって這(は)っていけ」と命名しています。

 「ノーモア・ヒロシマ」を叫び続ける画家の思いを後世に伝えるため、多くの人の力を借りながら壁画として残すことができ、責任を果たせたと安堵(あんど)しています。5月に広島市で先進7カ国首脳会議(G7サミット)が開かれるこの機会に、この作品を世界中の人たちに見ていただきたいと願っています。(光陽会委員・広島支部長)

(2023年4月26日朝刊セレクト掲載)

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