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連載・特集

ヒロシマの声 NO NUKES NO WAR] 五感に染みついた惨禍 被爆者 八幡照子さん(85)=広島県府中町

 ≪8歳の時に、爆心地から2・5キロの広島市己斐町(現西区)の自宅で被爆した。日本語と英語で、あの日の記憶を伝え続けている。原爆に命を奪われた、当時の自分と同世代の子どもたちの無念を広く伝え、次代が同じ苦しみを繰り返さぬよう願う。≫

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 「お菓子が入っている」。期待を膨らませ、駆け寄った紙袋の中には、誰とも分からぬ骨が入っていた。原爆投下から数日後、多くの遺体が火葬された己斐国民学校での体験だ。当時の私は飢えに苦しみ、何もかもが食べ物に見えた。人を焼く臭いが、学校中を覆っていた。

 あの日、私は父母たち家族7人と自宅にいた。警戒警報が解除されたかどうか、隣家に聞きに行こうと裏庭に降りた時だった。ピカッと、空一面が巨大な蛍光灯のように光り、屋内へ6メートルほど吹き飛ばされた。扉は吹き飛び、床には食器が散乱していた。母の声を頼りにはいだした。

 ぼろ雑巾のように皮膚を垂れ下げた人、髪が逆立った人…。幽霊の行列のような人々をかき分け、私たち家族は逃げ惑った。子どもを助けられず逃げたのか、はぐれたのか。河原では、女の人が仁王立ちで泣き叫んでいた。

 爆撃を受けたウクライナの都市を見ると、78年前の広島がよみがえる。人が焼け焦げた臭いも、泣き叫ぶ声も。五感に染みついたものが、こみ上げる。戦争は絶対にしてはいけない。今は強くそう思う。けど、戦時中、私たち子どもは殺すこと、憎むことを教えられた。戦争は人間性を奪う。その戦争があるから核兵器も使われるのだ。

 ロシアのプーチン大統領やウクライナのゼレンスキー大統領、両国を取り巻く核兵器保有国の首脳たちは、全員同じテーブルに着き、武力ではなく対話で解決の道を築いてほしい。一人の人間に立ち返り、一日も早く戦争をやめてほしい。地球が、1945年8月6日の広島のようにならぬために。(聞き手は小林可奈)

(2023年5月6日朝刊掲載)

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