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[ヒロシマの声 NO NUKES NO WAR] 被爆者の姿から学んで 「ノーモア・ヒバクシャ」と訴え続けた被爆者の姿から何を学んだのか NPO法人「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」 栗原淑江さん(76)=東京都

  ≪被爆者の証言や核兵器廃絶運動の記録を収集、発信するNPO法人「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」(東京)で事務局を担う。1980年代には日本被団協で事務員として働いた。ロシアがウクライナに対して核の威嚇を続ける中、核兵器の非人道性を訴える被爆者運動の歴史に改めて光を当てようと活動に意欲を燃やす。≫

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 ロシアの振る舞いを見ていて思うのは、戦争が起きれば核兵器が使われるリスクがあるということだ。核は究極の兵器として世界に存在し続けている。「ノーモア・ヒバクシャ」と訴え続けた被爆者の姿から何を学んだのか。憤りしかない。

 被爆者がどんな活動を続けてきたかに注目してほしい。その運動は、核兵器禁止条約発効の大きな原動力となった。今こそ、人類史の貴重な記憶遺産にしなければならない。

 2011年の会発足には、ノーベル文学賞の故大江健三郎さんたちが発起人に名を連ねた。被団協の所蔵資料をはじめ、全国の被爆者の体験記や書籍など計2万点を都内などで保存し、電子データ化に取り組んでいる。

 市民団体などによる、これまでの被爆者調査の資料も残っている。私も被爆者の話を聞いた。焼けた自宅の下敷きになった5歳と3歳の娘2人を助けられなかった母親は「子どもを捨てて逃げました」と振り返った。自らを責め続けてきた心情を、初めて他人に打ち明けたのだという。

 娘の成長が何よりの生きがいだったそうだ。戦後30年以上も続いた苦悩。聞いた私も胸が締め付けられ、核兵器は人間性に反した兵器だとの思いも強まった。この娘2人の検視調書も私たちの会が保存している。

 被爆者が戦後にどんな運動を続け、どういう気持ちで生きてきたか。5月の先進7カ国首脳会議(G7サミット)で被爆地の広島市に集まる各国の首脳には、その歴史に向き合ってもらいたい。原爆が人間にもたらす本当のむごさに気付くだろう。(聞き手は中川雅晴)

(2023年5月7日朝刊掲載)

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