×

連載・特集

被爆地の視座 サミットを前に <4> 反核運動

民衆の叫びこそ抑止力

惨禍の原点 立ち戻る時

 平和記念公園(広島市中区)や周辺を人が埋め尽くす。1982年3月21日、市中心部6カ所の会場に所属や党派を超え、約20万もの人が集結した。学者や文化人たちが呼びかけた「平和のためのヒロシマ行動」。核兵器の配備にあらがう欧州市民の運動に呼応した被爆地の反核集会だった。

 「呼びかけあってこそだが、自然発生的に集まった群衆の中に身を置き、力が湧いた」。核兵器廃絶をめざすヒロシマの会(HANWA)顧問の森滝春子さん(84)は当時の高揚感を振り返る。戦争の痛みを知る人はまだ多く、核で無残に命を奪われることへの怒りと危機感は大きかった。「一人一人の思いを結集すれば大きな力になる、と実感する時間だった」という。

 森滝さんは、その後も長く被爆地で運動に携わってきた。2001年には、ばらばらに活動する市民の声と力を集めようとHANWAを結成。しかし近年は病で思うに任せない。ロシアのプーチン大統領が核使用をちらつかせるなど核危機にある今、焦りと不安を感じている。被爆地の運動がかつてのような大きなうねりを生んでいないからだ。

若者 新たな試み

 そうした声は、既存の平和運動団体内からも聞こえる。労働組合主体の運動は衰えとともに力が弱まり、世代交代がうまくできているとは言い難い。広島県原水禁は運動を率いたメンバーが世を去り、受け継いだ世代も年を重ねる。県原水協は団体加盟で組織の先細りは深刻でないものの中心的な担い手は高齢化し、若手育成へ「行動を積み重ねるしかない」とする。

 一方、新しい運動も生まれている。「核政策を知りたい広島若者有権者の会」(カクワカ広島)は19年の結成以来、選挙立候補者へのアンケートなどに取り組む。核問題をジェンダーや気候変動の問題と結びつけたり、交流サイト(SNS)を活用したり。ロシアによるウクライナ侵攻後は原爆ドーム前で反戦の集いを開いた。田中美穂共同代表(28)は既存の運動に学びつつ、「私たちだからこそできる発信を」と語る。

軍拡利用 懸念も

 ただ森滝さんは、近年のさまざまな反核運動を見て、行政との協働に目が向きがちな面が気になるという。「核を操る側の権力に対峙(たいじ)する視点が足りない」。距離を誤れば、ヒロシマの名の下に政権の軍拡にも利用されかねないからだ。もう一つの被爆地にも同様の課題があるといい、長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)の山口響客員研究員(47)は「構造的に行政への批判が出にくくなる」と指摘する。

 必要なのは揺るがぬ「被爆地の視点」だ。広島県原水禁の金子哲夫代表委員(74)は「核使用の結末を知るヒロシマの原点を取り戻さなければ」と語る。半世紀にわたって運動に携わり、41年前のヒロシマ行動では事務局を担った。先人たちの背中を見てきたからこそ思う。「核被害に対する怒りがないと廃絶を動かす力にならない。核が存在する限り被害者が生まれ続ける現実を訴え続けねば」

 森滝さんの父で被爆者として原水禁運動を率いた市郎さんはヒロシマ行動の壇上で、危機を食い止める力になるのは「われわれ一般の民衆の反核の叫びと行動」だとスピーチした。核が人間に何をもたらすのかを知る被爆地の叫びこそ抑止力になる。(森田裕美、小林可奈)

(2023年5月5日朝刊掲載)

年別アーカイブ