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連載・特集

@ひろしまサミットまで 15日 韓国・朝鮮人被爆者

 かつて日本の植民地支配によって土地を失うなどした朝鮮半島の人々は、生きる糧を求め、あるいは徴兵・徴用されて次々日本に渡りました。特に韓国慶尚南道陜川(ハプチョン)からは農業従事者たちが多数広島に来ていて被爆しました。日本の敗戦で多くの被爆者が帰った陜川は「韓国のヒロシマ」とも呼ばれています。陜川には死没者の位牌(いはい)がずらりと並ぶ慰霊閣があります。

 原爆が投下された時、広島にどれだけの朝鮮人が居住し、犠牲になったのか。実数はいまだ分かっていません。

 生き延びて祖国に帰った人々は長く日本の援護の枠外に置かれました。国交のない北朝鮮にいる被爆者は今も置き去りとなっていることを私たちは忘れてはなりません。(森田裕美)

(2023年5月4日朝刊掲載)

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