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社説・コラム

社説 憲法記念日 9条の原点を思い返そう

 日本国憲法の施行から、きょうで76年を迎えた。

 国会の憲法審査会では改憲項目を巡る与野党の議論が曲がりなりにも進む。平和国家日本の基礎となった戦争放棄と戦力の不保持、交戦権の否認をうたう憲法9条も例外ではない。

 日本の平和と安全保障環境が揺さぶられているのは確かだ。核大国ロシアによるウクライナ侵攻は長期化している。東アジアでは台湾海峡で中国の軍事行動が懸念され、北朝鮮の核・ミサイル開発も加速している。

 しかし9条改正の是非は、目下の世界情勢に便乗する形で論じるべきだとは思わない。日本の未来を左右する問題であり、限られた国会議員による条文解釈に任せていい話でもない。憲法の平和主義が持つ世界的な意味は、それほど重いはずだ。

 この数年、9条の理念が風化していくさまを目の当たりにしてきた。安倍政権時代に憲法解釈を変更した集団的自衛権の行使容認がそうであり、防衛装備品の移転という名の武器輸出の解禁に向けた動きもそうだ。

 いま最も見過ごせないのが岸田文雄首相が防衛費の大幅増とともに打ち出した「反撃能力」の保持である。例えば弾道ミサイル発射などの兆候があれば、相手の領域を直接攻撃することであり、平和国家として戦後、堅持してきた「専守防衛」を超える恐れがある。しかし政府の側は、どんな場合に行使するかの説明をあいまいにしたまま、平和憲法は守り、専守防衛には反しないと繰り返す。9条との整合性を一体どう考えているのかは判然としない。

 核兵器についても同じようなことが言える。「核兵器なき世界を目指す」という岸田首相の言葉と裏腹に、日本の安全保障は米国との間で「拡大抑止」に一段と傾斜しつつある。そこには核戦力に依存する「核の傘」が含まれる。先日の米韓首脳会談は北朝鮮をにらみ、核抑止力の強化で一致した。先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)や拡大会合で核抑止が論じられることは想像に難くない。

 だが核抑止力そのものが、憲法9条で戦争とともに放棄した「武力による威嚇」に抵触しないのだろうか。事もあろうに、保守派の政治家は米国の核を日本が共同運用する「核共有」まで公然と口にしている。今こそ歯止めをかける必要がある。

 岸田首相はサミットに議長として臨むに当たり、先の大戦の反省から生まれた憲法9条の原点を思い返してもらいたい。

 新憲法の公布に合わせ、政府は解説を発行している。9条の意義に関しては「原子爆弾の出現」を例に挙げ、戦争が文明を抹殺することを憂いている。戦争放棄の条文の背景には広島と長崎の惨禍もあったという見方もできる。後に国是となる非核三原則も、9条の理念の具体化だと考えていい。

 自民党は現行の9条の条文を維持した上で、自衛隊を明記すべきだと主張する。それだけなら問題ないと受け止める国民も少なくないだろう。ただ安易に改正に手を付けること自体が、平和憲法の理念をさらに空洞化させかねない。目の前の安全保障政策との矛盾が仮に生じるとしても9条を変えるより、まずは9条に合わせる努力の方が先ではないか。憲法は、小手先の政治の道具ではない。

(2023年5月3日朝刊掲載)

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