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連載・特集

『生きて』 通訳・被爆者 小倉桂子さん(1937年~) <8> ニュルンベルク反核法廷

欧州の熱気 肌で感じる

 海外から訪れた人の通訳や案内をするうち、当時森滝市郎さんが代表委員を務めていた広島県原水禁のメンバーと知り合い、原水禁世界大会に参加する海外代表のお世話を手伝うようになりました。そこで当時西ドイツの「緑の党」代表だったペトラ・ケリーとも出会いました。

  ≪1983年、西ドイツのニュルンベルクで開かれた「反核国際模擬法廷」(緑の党主催)に、核兵器を告発する証人である被爆者として、県原水禁から派遣された≫
 高齢の森滝さんに代わって参加をという要請でした。初めて人前で、8歳のときに見た惨状を証言しました。一発の原爆で一瞬にして広島の街が壊滅し、遠くの海がとても近くに見えたことを話し、持参した原爆慰霊碑の写真を掲げて「過ちは繰返しませぬから」と刻まれた言葉を伝えました。

 たった15分ほどのスピーチでしたが、みんな熱心に耳を傾け、壇上から降りるとたくさんの人が集まってきました。欧州の人々のヒロシマへの関心の高さを肌で感じました。

 ここでジャーナリストのロベルト・ユンクとも再会しました。「通訳を頼んでも、できないできないと言って泣いていたあの桂子がここまできたんだね」と、ステージから降りた私を抱きしめてくれました。それがユンクと会えた最後でした。

  ≪模擬法廷には、ケリー氏、元米国防総省職員で平和運動家のダニエル・エルズバーグ氏たち欧米や旧ソ連など11カ国から学者、運動家、政治家たちが参加。「核兵器使用や使用計画の一切は国際法上違法であり犯罪」などと断じた≫
 欧州への戦術核配備に抗議する市民運動が盛り上がりを見せていた時期です。法廷の外でも、暮らしに根差したドイツ市民の反核運動を目の当たりにしました。赤ちゃんからお年寄りまでごく普通の市民が明るく伸び伸びと、しかし反核の強い意志をもってデモに参加していました。

 平和運動は大きな組織や運動家だけのものではないはず。人に任せるのではなく、私もできることをやらなくてはと思いました。広島でも一人一人の市民が心から参加できる平和運動ができないか―。欧州の熱気に触れ、考えるようになりました。

(2023年5月9日朝刊掲載)

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