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社説・コラム

平和行政への思い 田上富久前長崎市長に聞く 国の「ずれ」 正すのも役割

広島サミット 人類としてのメッセージを

 長崎市長を4期16年務めた田上富久さん(66)が先月25日、任期満了で退任した。在任中は平和首長会議の副会長として、会長の広島市長と連携しながら国内外で核兵器廃絶を訴えた。平和宣言などを通じ、政府への直言を辞さない姿勢も注目された。平和行政にかけた思いや、19日に広島市で開幕する先進7カ国首脳会議(G7サミット)への注文を聞いた。(編集委員・田中美千子、写真も)

  ―伊藤一長(いっちょう)前市長が市長選立候補中に銃撃されて亡くなり、急きょ、市職員から転身して就任しました。平和行政にどう向き合ってきましたか。
 職員時代は広報が長かった。伊藤市長に随行し、2000年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に行ったが、平和行政には直接関わっていない。平和への思いは就任後、どんどん強くなった。

 起点になったのは被爆者の証言だ。「同じ思いを他の誰にもさせたくない」との強い信念に突き動かされた。また首長会議の加盟都市と交流し、被爆地だけでなく、平和を願う世界の人々の思いを伝えていく役割も感じるようになった。

■ 共感を大切に

  ―平和宣言では、15年に安全保障関連法案の慎重審議を求めるなど、政府への踏み込んだ物言いが印象に残ります。
 被爆地には、原爆被害の実態を伝える▽核兵器禁止条約などの「次の一歩」を示す▽核兵器廃絶というゴールを示し続ける―といった役割がある。核保有国や政府の「ずれ」を正すのも大事な務めの一つだ。確かに「長崎は物言いが強まった」と指摘されたが、実は何ら変わっていない。私たちは「核なき世界」への道を最短距離で進みたい。だから政府の姿勢が変わるつど、「それは違うよ。こっちに行こう」と言い続けてきた。

 大切にしたのは共感してもらうこと。核問題は誰もが当事者だが、声高に訴えるほど「被爆地だけの問題」と捉えられる。それがジレンマで。起草委員に限らず、多様な市民の思いを感じながらつくるよう心がけた。ただ市民の間で意見が割れる問題が多く、いつも表現を悩み抜いた。市民代表として、その時点でどこまで言えるかと。安保法制もその一つだ。ぎりぎりまで言葉を探し、みんなが心配しているという事実を伝えた。

  ―歴代広島市長の平和行政をどうみますか。
 最初の4年は秋葉忠利市長と行動を共にした。長年、核問題に取り組む「信念の人」。人脈が広く、いろんな人に会わせてもらったし、その考え方に学ばせてもらった。一方、松井一実市長はバランス感覚に優れている。明るく人の心をつかみながら、首長会議の活動の充実化を引っ張ってくれた。2人とも独自のスタイルを持った市長だ。

 二つの被爆地は進む方向は一緒だが、違いもある。例えば広島は初めて原爆が投下された地として、長崎の何倍も世界に知られている。一方、長崎には高校生平和大使などのユニークな活動がある。私は冗談で「広島は広く、長崎は長く伝える役割がある」と言ってきた。今後もカバーし合い、学び合いながら同じ目標に進んでいけばいい。

■ 猛烈な危機感

  ―ウクライナに侵攻したロシアが核の脅しを強めています。
 私たちは「長崎を最後の被爆地に」と訴えてきた。今、みたび核兵器を使われかねない猛烈な危機感がある。どうすれば切り抜けられるか、市民社会も含め、できることを考えないと。

  ―広島サミットに何を期待しますか。
 大国のリーダーたちが被爆の実態を見る、知る、感じる意義は大きい。その上で何を議論し、どう発信するかが重要だ。核なき世界に近づくため、次の行動につながるような議論を望む。核使用を実際に抑えられるような緊急メッセージも求めたい。ロシアを非難するばかりでは逆効果だ。被害実態に触れれば、どの国でも使えない兵器だと分かるだろう。

 「西側として」ではなく、一人の人間として感じたことを言葉にし、人類としてのメッセージを発してほしい。

  ―今後の被爆地の課題は何でしょう。
 被爆者のいない時代が近づく。新しい伝え方をつくる努力を続けないと。「平和の文化」も引き続き、広めてほしい。不信感を高じさせ、暴力で解決しようとする「戦争の文化」ではなく、相手を信頼し、話し合いで違いを乗り越えようという考え方だ。「私には平和などつくれない」と思う人も多いだろうが、実は誰にでもできる。国は不信から抜けにくい。市民社会が信頼の包囲網を築きたい。

―退任後の予定は。
 平和との関わりを含め、当面は何も決めず、在任中にできなかったことをしたい。映画を見たり、いろんなまちを歩いたり。早稲田大で月2回、社会人向けの特別講座も受け始めた。被爆地には、次世代の人材を育てるという役割もあると思ってきた。若い人たちの活動をいずれ何らかの形で応援したいな、との気持ちは持っている。

たうえ・とみひさ
 長崎県五島市生まれ。九州大法学部を卒業後、1980年長崎市職員。26年6カ月の在職中、広報課に13年所属した。統計課長だった2007年4月、4選を目指した当時の伊藤一長市長が選挙運動中に暴力団幹部に射殺されたのを受け、市長選に補充立候補し初当選した。4期16年の在任中、平和首長会議副会長と日本非核宣言自治体協議会会長を務めた。

(2023年5月11日朝刊掲載)

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