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連載・特集

『生きて』 通訳・被爆者 小倉桂子さん(1937年~) <10> 世界のヒバクシャ

現在進行形の問題 痛感

  ≪1987年秋、米ニューヨークで8日間にわたって開かれた第1回核被害者世界大会に、広島県原水禁などでつくる代表団の一員として派遣された≫
 大会には世界中から核被害者や専門家、平和運動家が集まっていました。ウラン採掘の現場で働く人、米国内やマーシャル諸島の核実験場周辺住民、実験に携わった技術者、元兵士の話をシンポジウムや分科会で聞きました。79年に原発事故があったスリーマイル島へも足を運び、放射線の影響とみられる住民のがんの話を聞き、奇形の植物を見ました。

 原爆投下を正当化する声にも直面しました。ニューヨーク滞在中、米国人の集会に呼ばれて被爆体験を話すと「おめでとう。原爆のおかげで君はこうしてここに来ることができた。だって原爆が投下されなければ日本人はみんな自決していた」と言われたのです。反論すると「原爆が人類の命を救ったと小学校で習っただろ」と返されました。私が「広島では被害も加害も教えます」と言うと相手はとても怒りました。こうした修羅場は、その後何度も体験することになるのですが…。

 大会の閉幕後、私は一人でボストン、ワイオミングへと飛び、広島で出会った友人たちを訪ねました。それから旧知のジャーナリストと合流し、米国が最初のウラン採掘をしたアリゾナ州の先住民保留地へ行きました。鉱山や鉱石精錬所が集中するニューメキシコ州の町を車で走り、ネバダの核実験場の風下地域に当たるユタ州の町で住民の話に耳を傾けました。サンフランシスコでは、補償を求めて闘う被曝(ひばく)退役軍人たちの報告を聞きました。世界大会で聞いた通りの実情でした。

 ウラン採掘から始まり、開発、実験、使用といった核のサイクルで、どれだけ多くの核被害者が生まれ、弱い立場の人が犠牲になっているか知りました。世界のヒバクシャと出会い、核の問題が現在進行形であると痛感しました。ヒロシマは彼らの声を聞き、その声も合わせて発信しなくてはならないと思いました。ひと月にわたる経験で、これからの自分の役割が見えた気がしました。

(2023年5月11日朝刊掲載)

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