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連載・特集

緑地帯 山下一史 広島に生まれた指揮者⑥

 母の手記によると、父と母の「なれ初め」はなかなかドラマチックだ。父は実家を焼け出されて幼い頃から兄のように慕っていた友人の家に住まわせて貰っていた。その友人の妻が母の姉だった関係で、同じく家を失っていた母の家族もそこに同居していた。戦後の混乱期とはいえ父と母は「同じ屋根の下で」暮らしていたことになる。そこで父が母にプロポーズしたというわけだ。これだけの話ならよくあるラブ・ストーリーだが、その頃の母はまだ抜けた髪も生えそろわず、頭にスカーフをかぶっているような状態だった。それに、原爆の後遺症も危ぶまれる中でのプロポーズは、随分と勇気が要ったに違いない。

 母があるテレビ局の企画で、ウエディングドレスを着た美しい花嫁の写真からインスピレーションを受けて書いた「ママの結婚写真」という詩があるので引用する。

 ママの結婚写真を見せてとあなたは聞くの(中略)パパと初めて会ったのは丸坊主の時だった/原爆の放射能がからだを犯して乙女の生命の髪は跡形もなくなっていたの/恥ずかしかった/人は皆/目を背け逃げてしまうのに/でもパパはママを愛して下さったの/わかるわね/結婚写真がないわけが/多くのものを失ったけどママはパパに会えたの/だからあなたはパパとママのたからなの/結婚写真はなくてもママはちっとも悲しくない/いまパパがいてあなたがいるから

 父は結婚を機に、体の弱い母のことをおもんぱかって、転勤の可能性がある当時勤めていた都市銀行を退職した。(指揮者=東京都)

(2023年5月12日朝刊掲載)

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