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「核兵器廃絶のみに人類存続の希望」 サーローさん 母校・広島女学院大から名誉博士号 記念講演も [全文掲載]

 広島市南区出身でカナダ在住の被爆者サーロー節子さん(91)が15日、母校の広島女学院大(東区)から名誉文学博士号を授与された。記念講演し、在学生約500人を前に「核兵器廃絶のみに人類存続の希望がある」と訴えた。

 講演の冒頭、19日に市で開幕する先進7カ国首脳会議(G7サミット)に触れ「市民が、核廃絶に向けた真摯(しんし)な議論を世界のリーダーたちに求めようと準備している。みなさんの高揚した気分がサミット後も長く続き、確実な行動となるよう祈る」と語った。

 続いて、13歳で被爆し、核兵器廃絶を訴えてきた体験を回顧。核兵器禁止条約の実現に若い世代が尽力した経緯を紹介し、「被爆者に会い、その記憶と思いを受け継いでほしい。平和のトーチを高く掲げてくれる、より若く、より強い手が必要だ」と呼びかけた。

 同大は平和活動への貢献をたたえ、2020年に初の名誉博士号授与を決めたが、新型コロナウイルス禍で式を延期していた。サーローさんは今月9日、3年半ぶりに来日。14日に原爆資料館(中区)を訪れた際はG7首脳の資料館訪問に期待し、「政治的な決断をする時は理論だけではなく、感情が非常に大切。人間として感じるものがあるはず」と語った。(太田香)

サーロー節子さん 名誉学位授与式後の記念講演(広島女学院大)

 本日はこのような盛大な授与式を開催していただき、夢想だにしなかった身に余る栄誉をお受けすることに胸を熱くし、感謝の思いを表す言葉もございません。3年半ぶりに広島の地に戻り、みなさま方との再会を楽しめる幸せを深く感じております。今日の寛大なご厚意に対し、広島女学院大学自治会のみなさま、教職員のみなさま、同窓会のみなさまに心からの感謝をささげます。また、この式にご参列くださいました学生さんたちにも敬意を表したいと思います。

 私は1週間前の月曜日に、ナイアガラの近くのカナダ・トロントから20時間の空の旅をして、日本にまいりました。空港に向けて出発する直前、中国新聞のウェブサイトに目を通しますと、なんとまあ、続々とG7に向けて、広島市民のみなさまの活動の記事が出てきました。読む時間がありませんでしたので、すべてをコピーして、飛行機が離陸してからゆっくりと目を通しました。広島市民のみなさんは老いも若きも、G7に対する期待と興奮を抱いておられるのだと、ひしひしと伝わりました。核廃絶に向けて真摯に議論するよう、世界のリーダーたちに求めようと準備しておられるのだ、と思いました。また広島市民にとどまらず、世界各地から広島に集まった若い人々、国会議員たちの力強い意見も載っていました。みなさんのこの高揚した気分が、サミットが終わっても長く続き、確実な行動となりますよう祈っている次第です。

 中でも、私に深い感銘を与えてくれたものは、5月7日付の中国新聞の「サミットへの提言」でした。短い文章に広島、長崎の被爆者が、そして、市民たちが七八年間求め続けてきた核廃絶への思いが結晶され、理路整然とまとめられていました。みなさま、ぜひ目を通してください。市民とジャーナリストが一体となって、核のない世界を求める強力な声を世界に発し続けている、という実感を涙とともに覚えたのです。これが私のふるさとなんだ、同じ思いを確かめ合う、多くの人々と再会できる広島なんだ、という実感で胸が熱くなりました。

 私は十三歳の時、広島女学院高等女学校の2年生でした。市内の陸軍第二総軍司令部の動員先で、原子爆弾の閃光を目にし、爆風で体が空中に舞い上がったのを記憶しています。意識の回復とともに、崩壊した建物の下敷きになり、身動きのできない状態にあることが分かりましたが、軍人さんの声に導かれて、隙間から差し込む日の光に向けて、がれきの中からはい出ることできました。暗黒と静寂の中、目にした地獄で、亡霊のように焼けただれた人間らしきもののうごめき、水を求め、あえぐ声を耳にしましたが、瞬時に起こった私を取り巻く世界の変容に応ずるすべもなく、ただ呆然として立ち尽くした瞬間を、今も鮮やかに記憶しています。罪のない市民が無差別虐殺の標的とされ、広島が消滅したという核時代の黎明の訪れとなったのです。

 12年という長い年月、敗戦で機能不全状態にあった日本政府から無視、放置され続けたにも関わらず、また占領軍により、広島の被爆の実相を世界から隠ぺいするために被爆者やジャーナリストの文筆活動が抑圧されていたという事実にも関わらず、多くの被爆者は再生をめざして、生き抜くためにたち上がりました。個々の被爆体験の悲惨、非道を嘆くだけでなく、核兵器を「絶対悪」と否定し、核兵器完全廃絶のみに人類の存続の希望がある、としました。まだ中学生だった私ですが、大人の被爆者たちの強烈な「非暴力・反戦」の言動に心を動かされ、高校と大学生時代には、先人たちの言葉をかみしめながら、行動を見つめながら、育ってきたと思います。愛する家族やクラスメイトを犬死にさせてはいけないと、心に誓ったのでした。それが私の将来のアクティビスト、行動主義者としての原動力となったと、今、私の若き日々を振り返りながら思っています。怒り、悲しみも、愛の行動となって社会を変える力、必要なエネルギーの源泉になれると確信して、声なき死者の声として、生きる道を選びました。苦しい時、投げ出したい時も、死者の記憶やイメージ、この母校で学んだ「我らは神と共に働くものなり」というモットーの聖句に絶えず励まされ、支えられてきました。

 1954年、留学生として、米国の大学に到着したばかりの私を、新聞記者たちが待ち受けていました。同年3月1日にマーシャル諸島のビキニ環礁で、またしても米国は広島に投下した原子爆弾の千倍の破壊力を持った水素爆弾の実験をし、島民の命と環境の破壊をいとわなかったのです。意見を求められて私は、率直に米国の核政策の批判をしました。翌朝、新聞記事に載るやいなや、匿名の脅迫の手紙が大学に届き始めました。到着したばかりの異国でのこのバッシングに苦悩したものの、私にとっては被爆者としての使命感を新たにする「目覚め」の時にもなったのです。抽象的になりがちな核議論に体験を加え、単に核兵器に関する知識だけでなく、心情的に当事者としての自覚を促し、地球社会の一員としての責任を考える、そして、それを必要な行動につらねる、そういう動機付けの努力を重ねてきました。

 まず、最も身近な大学から町の高校や教会、女性団体、ロータリ―クラブ、労働組合など、人の集まりに積極的に交わりました。広島、長崎での核兵器の使用を正当化し、自国の科学的、技術的優位性を誇る社会で、人々の共感を得るためには、ヒロシマ・ナガサキの意味を多角的に捉え、説得し、人道的価値観を強調する事が必要でした。長年の草の根での活動から、国際政治の中心である国連での会議に参加するようになり、目にしたものは、軍事力と経済力を盾に自国の権力と利益を追求する核大国の横暴ぶりでした。核兵器不拡散条約第6条によって、軍縮への努力を誓ったはずの核保有国が、その軍縮に向けての法的責任を無視し続けて、半世紀以上も経つ今日、いまだに一歩も前進を遂げていません。核保有国と、その核兵器に依存する国という少数派が、核兵器廃絶を求める多数派を人質としているようでした。

 しかし、2017年7月7日には、被爆者たちの悲願である核兵器禁止条約が、国連総会で加盟国の3分の2にあたる122カ国・地域によって採択されたのでした。これは人類が核時代に突入して以来、初めて、核兵器の製造、実験、使用、保有、威嚇など全てを包括的に禁止するという国際法で、核保有国の猛烈な反対運動を押し切って生まれた条約です。新興国、途上国の外交官たちは「国連にやっと民主主義が到来した」と口にしていました。これは核廃絶推進国のオーストリア、アイルランド、ブラジルなどの外交官、赤十字国際委員会などの国際機関、653の世界の市民団体、世界各地で強行された2千回以上の核実験による被害者たち、ヒロシマ・ナガサキの被爆者たちの間の強力な信頼感と緊密な協力によって達成された、まさに画期的、歴史的な出来事でした。

 運動の重要な役割を演じたのがICAN 、核兵器廃絶国際キャンペーンという理性、情熱とエネルギーにあふれる国際NGOの若い世代の人たちでした。核のない安全で、平和で、公正な社会をつくりだすために、まず自分の周囲から、地元から行動をおこし、社会と政治を動かし、世界に同志をもとめ、国連を通して世界をかえた若い世代のアクティビズム、行動主義だったのです。

 皆さんの周囲には、多くの専門家がいらっしゃいます。その先生方の支えを得て、長年の日本政府の矛盾に満ちた核政策をしっかり学んでください。被爆者に会い、その記憶と思いを受け継いでください。仲間とつながり、さらに世界にも同志を求めて、議論を深めてください。そして、政府にあなたの声を届けてください。それが最も効果的な民主主義国家の市民がとるべき行動だと思います。

 何年にもわたって、核の被害者は、非核による平和というトーチを掲げてきました。核兵器廃絶だけがもたらし得る持続可能な平和のために努力してきました。核兵器禁止条約のような、新たな扉を開けることもできました。皆さんの中に、私たち被爆者から奮い立つ力を得る人がいてほしいと思います。しかし、今、私たちもみなさんから奮い立つ力を、インスピレーションを得る必要があります。このトーチを受け継ぎ、これまでになく高く掲げてくれる、より若いより強い手が必要です。全世界でトーチの光が見えるよう、高く掲げてほしいと思います。

 最後にみなさんの学生生活が実り多く、豊かなものとなりますようお祈りしています。この機会を与えてくださいました全ての皆様に重ねて、御礼を申し上げます。

2023年5月15日

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